むうぴょんこ

忠臣蔵 花の巻 雪の巻のむうぴょんこのレビュー・感想・評価

忠臣蔵 花の巻 雪の巻(1962年製作の映画)
5.0
【本当の黒幕は水戸徳川家の三代目藩主である徳川綱條(とくがわつなえだ)だ!!の巻(笑)】

いやあ~~~~っ、最近、めっきりと寒くなってきたねぇ~!!

まだ平均気温で20度近くもあるのに、こんなに寒く感じちゃ、真冬なんてどうなっちゃうの?・・・って、毎年この時期になると言ってるかもね?(笑)

それでね、寒い時期って言えば年末恒例の赤穂浪士の討ち入りが放送されるのが定番で・・・中でも傑作だと思うのは1962年に公開された『忠臣蔵 花の巻 雪の巻』!!

【Youtube ”予告編”】
https://www.youtube.com/watch?v=qxglH2ljJBU

これって出演してるキャストが非常に豪華っ!!

先代の松本幸四郎、原節子、三船敏郎などなど・・・きゃあぁぁぁぁ~~~って胸がときめいちゃうくらいの素晴らしい配役で・・・実際、海外でも未だに評判がスッゴク高い傑作なのです!!

そういえばさ、討ち入りした赤穂浪士の墓って京急品川駅の次の駅、今度新しく山手線の新駅ができる泉岳寺にあるよね??

その泉岳寺と言えば泉岳寺駅出口横にある藪蕎麦って店の餅が入った”力蕎麦”が有名だけど・・・赤穂浪士(あこうろうし)の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の息子である大石主税(おおいしちから)とは何の関係も無い事でも有名だったり?(笑)

そんな泉岳寺の近くには松田聖子さんが神田正輝さんと離婚して、歯科医の方と再婚された際の披露宴で使用した新高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル新高輪)があったりして・・・

そういえばさ、グランドプリンスホテル新高輪にはバイキングレストランがあって・・・松茸ご飯やローストビーフとかのディナーで大人1名5,600円取られるんだけど・・・それならやっぱり同じ料金の品川プリンスホテルのカニ食べ放題に行った方が良いよねぇ~って、ただ、無性にカニが食べたいだけだったりしてね(笑)

それでね、バイキングってのは誤って認識された名前で、食べ放題レストランって本来はブッフェ(Buffet)レストランってのが正しいんだよね!!

このバイキング=ブッフェって誤って広まっちゃった理由が日本で初めてブッフェスタイルを取り入れた帝国ホテルのレストランの名前が”インペリアルバイキング”だったからで・・・いやあ~~~っ、ホント、帝国ホテルって歴史もステイタスもさいこ~~~っ(笑)

でもさ、Buffetって広義なニュアンスで、奪い合うって意味もあるよね??

なのでホント・・・食べ放題って正しくみんなが奪い合う戦場だよねぇ~って、全く関係ないって・・・そりゃ失敬(笑)

って・・・ここまで気が赴くままに書いてきて、そろそろ本文に入らなきゃいけないのに・・・どんどんかけ離れていっちゃう(泣)

うわぁぁぁぁ~~~っ・・・どーしよぉー・・・!!←カリオストロの銭形風に(笑)

って、思いながらも・・・ま、いっかぁ~~~~って(笑)

あはは・・・そう思いながらも、本作に関しては前から凄く言いたい事が沢山あるので・・・超天邪鬼的に考察を踏まえて面倒くさいレビューをしちゃいますので・・・

いつも食べ放題の店に行くと目移りしちゃって皿に乗り切れないほどの料理を盛り付けてしまい『こんなに盛るんじゃなかった』と、こぼさないようにヨタヨタ歩きをしながら自分の席へと向かう方、もう食べられないって思いながらも『デザートは別腹♥』と全種類のケーキを網羅してしまう方、なのにタイムサービスでステーキが告知されると必ず『2枚下さい』と言ってから後悔してしまう方、カニを目いっぱい食べたいので盛ってきたのは良いけれど『むうちゃん、お願い♥』と言われたら喜んで殻剥きを全てやってあげてしまう方以外は・・・このレビューを読んでしまうとお腹がパンパンに膨れてしまうので即座に退出してください!!

Volo manducare cancer!!Volo manducare cancer!!

さあ、みなさん、カニ酢で手がベトベトになる準備はできてますかぁ~~~・・・では、行きますよぉ~!!

【本文】

それで忠臣蔵ってさ、不当な扱いを受け自害させられた浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の無念を晴らすために家老である大石内蔵助(おおいしくらのすけ)ら47人(46人という説もある)が、仇である吉良上野介(きらこうずけのすけ)を討つって話だけど・・・

あれってさ、普通に考えればマナーがなっていない浅野内匠頭が悪いんじゃないの・・・って、思っちゃってたり??

ほら、吉良上野介ってさ、地元では名君と呼ばれるほどの民衆想いの旗本だし、清和天皇(せいわてんのう)を由来とする源氏系列であり、上杉家とも婚姻関係で結ばれた由緒正しい家系であるので、作品にあるような無茶な非道はできなかったと思うんだよね!!

そんな朝廷とも縁が深い吉良上野介は奥高家(おくこうけ)として朝廷と幕府との調停役として大任を果たしてきたこともあり、朝廷行事の折りには吉良家が欠かせないほどの重鎮でもあって・・・

そんな吉良上野介が朝廷勅使のご馳走役の礼法指南役として、浅野内匠頭の指導にあたったのは、初回の天和3年(1683年)と、江戸城本丸の松の廊下での刃傷沙汰を起こされた元禄14年2月4日(1701年)の二回あったんだよね!!

流石に二回目だから浅野独りでも大丈夫だろうと、吉良が朝廷の接待時に朝廷と幕府との調停役である奥高家の所用で遅参してしまったのも仕方なかったんじゃないのって思っちゃったり??

そう考える理由は、もし実際の朝廷への接待時に問題が起こったら、それはご馳走役指南役の吉良上野介が一番責任が重いわけで・・・そうなっちゃったら最低でも領地没収、最悪だと吉良家取り潰しで切腹の沙汰が下るのは子供でもわかる事だよね??

でも、現在まかり通っているのは、吉良上野介が浅野内匠頭を虐めて嘘を教え続け、浅野内匠頭が失敗するように仕向けたという説で・・・素直に考えれば万が一、そのように吉良が仕向けたら吉良自身とお家その物の危機に直接、発展する重大事とすぐにわかる事なので、そんな危険な行為を行うはずがない!!

でも現在の通説はあくまでも吉良を悪者とした説が有望で・・・そんな定説って事実を捻じ曲げた虚構だと強く思うんだよ!!

そう思っていても、浅野内匠頭が吉良に切りつけた歴然とした事実があるので悩みどころなんだけど・・・

正直ね、浅野が本当に吉良を恨んでいて殺すつもりなら、短い脇差で切り付けるなんて、殺害できる可能性が低い方法をとるとは思えなくて・・・

脇差なら切るのではなく、突く事でしか確実に相手を殺せないのは曲がりなりにも武士なのでわかってたはずでしょって!!

それが切りつけただけ・・・なので実際は吉良の額と背中に軽微な切り傷を負わせただけで終了!!

この事実から、浅野内匠頭に吉良上野介を殺すつもりはなかったんじゃないのって思っちゃうんだよね!!

なので刃傷沙汰を起こしたホントの理由ってさ・・・ただ単に抜刀厳禁の江戸城・・・しかも本丸内で騒ぎを起こしたかっただけとか・・・

でもそれでは吉良に切りつけた動機がはっきりしないよね??

松の廊下事件後の幕府の取り調べでも明確な動機は一切出てこなかったし??

そこで天邪鬼な私は考えました!!

ホントは浅野内匠頭ってさ、吉良上野介に恨みなんてなかったんじゃないの??

でも地位が高い人にそそのかされたので、短気で思慮が足りない浅野内匠頭が行動に移しちゃったとか??

こうした陰謀って誰が一番得をするかで・・・その一番の受益者が黒幕って事が多いよね??

それから考えてみても、浅野内匠頭は切腹、お家取り潰しになっているので得をしてない。

じゃあ幕府内のだれかって考えるけど・・・幕府が朝廷勅使を接待している以上、そのような不祥事が将軍の居城である江戸城で起こったとなればホストである将軍綱吉(つなよし)のメンツが丸つぶれになるので・・・将軍をトップに掲げる幕府側が仕組んだとは考えにくいよね??

でもさ、もし仮にメンツを潰された将軍に対立する組織が幕府内にあったとしたら、十分に動機として成立しちゃう。

そんな反将軍側の人間が浅野内匠頭をそそのかした可能性を視野に入れ、彼らに動機は無いものかと色々調べてみるとかなり意外な事実が判明しちゃいましたっ!!

実は浅野内匠頭って統合失調症(自閉症と認知症の合併症状)の気があったようで・・・癇癪持ちで気が短く、本来ならとてもじゃないけど御馳走役など大任を任せられる人物では無い事実が発覚・・・って、最初からそんな人を候補にしちゃ駄目じゃん!!

そんな疾患を抱えた人物ならば不満が沢山あるだろうから、そこを突いてそそのかせられれば・・・まあ、比較的簡単に事を起こしちゃうよね??

そんな彼が事を起こした後は、口封じで殺してしまえば良いしね。

そういう無茶が可能なのは・・・反将軍側に組し、反対意見を強引にねじ伏せられる江戸家老職にいる人間でしかありえないって事になる。

でもその場合の問題は、もしそんな幕府の重鎮が浅野内匠頭と頻繁に接触していたのなら、どんなに秘密にしていたって浅野家家臣たちには確実に知られてしまうよね??

そこで、浅野内匠頭や家臣たちには『切りつけた事後に効果的なプロパガンダを展開するので御家安泰、命も職位も名誉も保証する』とか、甘言を弄してたんじゃないのって??

そのプロパガンダが忠臣蔵だって感じちゃったり??

ほら上野本所の吉良邸討ち入りが元禄15年12月14日(1703年1月30日)なのに、その一か月後の翌年、元禄16年(1704年)の正月には江戸山村座の『傾城阿佐間曽我(けいせいあさまそが)』という演目を現在の忠臣蔵そっくりな内容に書き換えて歌舞伎となって庶民に大流行!!

これってさ・・・TVやラジオが無かった時代なのに事件の詳細が伝わるのが早すぎるって思うんだよね!!

そんな『傾城阿佐間曽我』の作者は、福井藩士と越前(福井県と岐阜県の一部)藩主の松平忠昌(まつだいらただまさ:1598年生~1645年没)に仕えた御殿医(ごてんい=医者、御典医とも)の娘との間に生まれた、有名な歌舞伎や人形浄瑠璃の作者である近松門左衛門(ちかまつもんざえもん:1653年生~1725年没)で・・・

ほら、近松門左衛門の母方の実家が御殿医してた松平忠昌って、徳川幕府を築き上げた徳川家康の実子である、結城秀康(ゆうきひでやす:1574年生~1607年没)の次男であり、将軍を立候補できる御三家には劣るが名家である、徳川直系の御家門家(ごかもんけ)!!

そんな徳川家と松平家と深く関わりのある人物が、タイムリーに詳細な内容を盛り込んだ作品を発表して上演する・・・これって明らかに、インサイダー情報を入手できていたとしか思えないぞ!!

でもこれだけでは幕府側にいると思われる近松門左衛門に情報をリークした人物を特定することはできないよね??

ではこれからその黒幕は誰かを考察してみましょっ!!

実質的な犯人である隠れた黒幕を特定するにはそもそも論で・・・

いったい誰がそんな統合失調症を患っている浅野内匠頭を、日本の権威の頂点に君臨する朝廷勅使への御馳走役に任じたかって事を突き詰めれば、自然と幕府内の反将軍派の黒幕へとたどり着くよね??

でも誰が浅野を御馳走役に任命したのかって記述が史実には無い!!

でも素直に考えれば、表向きは徳川家が服従する朝廷からの勅使(天皇の代理人)の接待役を選ぶって事は、徳川家将軍の代理人を選ぶのと同じ意味なので、絶対にトップの人間が集まって選定するよね??

なので関わっていたとすれば、将軍綱吉と尾張徳川家、水戸徳川家、紀州徳川家の御三家と重臣達しかいない!!

これはあくまでも推察なんだけど・・・当時、”生類憐みの令(しょうるいあわれみのれい)”のお犬様将軍の綱吉は後継者問題で悩んでいて・・・将軍側には徳川家の人間を次期将軍に推している吉良と上杉家がいて・・・対立していたのは天皇家の血族を将軍に迎え入れたい水戸徳川家と近衛家(このえけ)だったようで・・・そういう状況下で反将軍派たちが一番崩しやすい吉良を絡めて問題を起こさせて、将軍綱吉の権威を失墜させる事で自分達が推す人物を将軍にしようと画策するのは自然な事だと誰しもがそう思うよね??

これで黒幕は水戸徳川家か、近衛家の誰かって事に絞られて・・・近衛家は御三家でもないし、何の利害も見当たらないので除外するとして・・・一番怪しいのは水戸徳川家だって事になる!!

水戸徳川家は代々、将軍を輩出しない代わりに実利を得る家訓でやってきたのだけど・・・名君であり、日本初のラーメンを食べた人物である光圀公(黄門様)の浪費癖もあって、危機的な財政難に陥っており、その財政改善に自分たちに都合の良い人物を後継者に据えたかったんじゃないのかなって!!

そんな水戸徳川家って、TVとかで水戸黄門が未だに大人気で・・・

あれって将軍は輩出していないけど、水戸藩には将軍を超える民衆思いの名君がいるって、世間にアピールしたい水戸藩のプロパガンダとしか思えない節があるし・・・

これってさ、忠臣蔵と同一の戦略と思考を持った組織が関与してる・・・そんな雰囲気がプンプンしてるのをみんな感じる事が出来ると思う。

そこで先ほどの現代に通じる忠臣蔵の元となった本を書いた、近松門左衛門の存在が浮かんでくるのです!!

近松門左衛門の母方の実家は、徳川直系の御家門である松平忠昌の御殿医をしてたでしょ??

なんとその松平忠昌は、水戸徳川家の祖である徳川頼房(とくがわよりふさ:1603年生~1661年没)と同じ、徳川家康の側室だった英勝院(えいしょういん:1578年生~1642年没)の養子となっていたのです。

ならば水戸徳川家と越前松平藩は、二人が亡くなった後も親密な関係を維持していたと推察できて・・・

そんな越前松平藩で御殿医をしていたのならば、水戸徳川藩の藩主や重臣を診る機会があっただろうし、御殿医の息子である近松門左衛門にも水戸徳川藩との繋がりができたであろうことはまず間違いないと思えるよね??

これでプロパガンダを展開した近松門左衛門は、黒幕と思われる水戸徳川家と関係があった事が分かった!!

それで残ったのは、実際の黒幕は水戸徳川家の誰なのかって問題だけで・・・

江戸城内での諸大名や他家老たちの意見を封じ込められる強力な影響力と発言力を有し、水戸徳川藩でも絶対な権力を持っている人物と言えば・・・

二代目である徳川光圀(みつくに=黄門様)を亡くした後、世継ぎに収まった三代目藩主である、徳川綱條(とくがわつなえだ)が、全ての条件を満たした黒幕でしかありえないって結論になるよねっ!!

ホント・・・陰謀って、どの時代でも怖いもんですなぁ~っ!!

それで、幕府側は水戸徳川家の徳川綱條って事で納得できるけど、一方の朝廷が黒幕である可能性も考えられるよね??

単純に考えれば朝廷は接待された側なので、今件のように問題が起これば幕府に貸しができるし、幕府に対し、より朝廷の立場を強いものにできるので、権威が失墜して見せかけだけの権力しか持たない朝廷側には十分すぎるほどの動機があるよね??

更に当然、水戸徳川家から次期将軍は天皇家から輩出したいと知らされていたはずなので・・・そんな朝廷にも陰謀を企んだ人間が居そうな雰囲気がプンプンと(笑)

それに浅野が松の廊下で切り付けた吉良上野介は前述したように将軍派だったわけだし、朝廷と幕府との調停役としても従事していたから刃傷沙汰が起こる前から東山天皇(ひがしやまてんのう)に恨まれていた可能性もあって・・・

そんな邪魔な人間を朝廷側が煽って、単純な浅野内匠頭に秘密裏に依頼して問題を起こさせたって事も考えられるよね??

確かに史実によると、勅使がいる江戸城内で刃傷沙汰が発生したとの知らせを聞いて一番喜んだのは東山天皇で・・・

普通に考えれば『あなたが犯人でしょっ、じっちゃん(金田一耕助)の名に懸けて!!』・・・って、言いたくなっちゃう(笑)

でも残念ながら東山天皇がそこまで喜んだ事実が、逆に朝廷の関与を否定していて・・・

もし犯人ならば疑いをかけられないように大人しく、悲しげにしてるべきなのに、史実に掲載されちゃうくらい盛大に喜んじゃったって事が逆に・・・

疑いを掛けられても問題ない=陰謀を企んでいない=黒幕では無い、

って、事に繋がって、朝廷派の容疑が晴れてしまうんだよね!!

と、いう事で結論は・・・

水戸徳川家の三代目藩主である徳川綱條が犯人で確定!!

って事で・・・ちゃんちゃん(笑)


あはは・・・状況証拠だけだから何も物的証拠はないわけで・・・でも、だからこそ歴史は面白いっ!!

そして・・・未だにそんな大昔の人間が仕組んだプロパガンダをうかうかと信じてる私達って・・・生活とモノは豊かになったけど人間の脳力(能力ではないぞ)としては退化しちゃってるんじゃないのかな~~~~・・・なぁ~んて思っちゃったり??

でも・・・ま・・・それでもいっかぁ~~~って思っちゃったり?(笑)

あはは・・・今回はいつにもまして面倒くさい内容だったけど愉しんでもらえたかな??

って、こんなにウダウダ長文を書いたら、誰もここまで読んでないって!!

ま・・・それもまた、いっかぁ~って思う・・・むうでした!!