アル中の苦悩というストーリーを心理サスペンスにまで高めているのは、ワイルダーの緊張感溢れる演出と陰影の強い撮影に加えて、ミクロス・ロージャの不穏な音楽も大きいだろう。特にテルミンの音は、次第に幻聴あるいは悪魔のささやきにすら聞こえてくる。
次々にフレームインしてくる酒瓶の描写は、悪魔がそっと差し出しているような不穏さが漂う。
その悪魔は幻覚の中でのコウモリとして具現化される。ふとメルヴィル「仁義」の幻覚シーンを思い出す。壁の穴から出てきたネズミをコウモリが食い殺し、壁に沿って血が流れるシーンなどブニュエルかと思うような超現実的な仕上がりだった。
終盤、立ち並ぶ酒瓶越しに遠くの主人公を捉えたショットに表れるように、次第に主人公が酒を見つめているのではなく酒が彼を見つめているのだという感覚も生まれてくる。
バーのマスターの"That's all"は直接的には酒は一杯で終了だという意味だが、どこか予言的にも響く。
レイ・ミランドは熱演だった。焦燥感に追い立てられる目付き、落ち着かない挙動、会話の中で徐々に自暴自棄になっていく姿が生々しい。一文無しでバーのマスターに一杯だけ恵んでもらうシーンは、砂漠で貴重な水にありついたかのような鬼気迫る姿で凄まじかった。
ラストシークエンスは、コートのエピソード、質に入れていた拳銃、キスの際に主人公が屈む動作、上下逆のタバコを直すヒロインと、様々な要素を怒涛の勢いで回収しながら進む。
これまでの悪魔の代わりに神が手を差し伸べたような絶妙なタイミングでタイプライターが現れ、いかにも良さげな興味をそそる書き出しが生まれ、希望を見せる。ファーストショットを反対に動かし綺麗に締める。
...のだが、ふとアル中という設定による怖さにも思い当たる。主人公が店で盗みに失敗するシーンで、音楽に合わせた合唱により客が主人公を嘲笑するのだが、これがリアリティが無く、幻覚とも取れる。したがって、それ以後のシーンも現実か否かは確定出来ないようにも思われ、タイプライターの登場の出来過ぎたタイミングを思うと、果たしてこの結末は...。