テーマこそ『こわれゆく女』と通じているが、撮影や編集があまりに奇抜。これがカサヴェテスの真骨頂であるならば、わたしにはアクが強すぎる。
『こわれゆく女』は、まず第一にジーナ・ローランズの破壊力があった。だから、カサヴェテスの荒唐無稽な映像スタイルが浮くことがなく、キャラクターとよい塩梅に絡んでいた。また、せかせかとしているように見えて、実はゆったりとした瞬間にも富んでおり、印象に残るシーンは多かった。
だが、本作は映像的にも物語的にもメリハリがない。役者のパフォーマンスにおいては目を見張るときもあるが、カサヴェテスの荒唐さのほうが強く出てしまっている。『フェイシズ』というタイトルの通りアップショットが多用されるが、突拍子なくキャラの顔面を映すことが多く、途中から鬱陶しくなってしまった。
また、『アメリカの影』とおなじく即興芝居とハンドカメラによって製作されているため、ヌーヴェルヴァーグの血流を時折感じさせるのだが(本作における娼婦役のジーナ・ローランズは『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナを思わせる)、いかんせん本作は深刻な人間関係のなかに遊び心が感じられず、絶えずむさ苦しかった。