SatoshiFujiwara

スイート・スイート・ビレッジのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

4.0
新文芸坐シネマテーク

本作は何気ないシーンの1つ1つに面白さと味わいがある。爆笑、ではなく思わずニヤリとするような質のコメディ。

「村の馬鹿者」でヒョロっと細長いオチクと父親代わりの太っちょパヴェクが並んで歩くシーンでのオチクの妙な足取り。村医者のスクルジュニーさんは車を運転しながら即興で詩を口ずさみ、プラハ郊外の田舎の豊かな風景に見とれて毎回事故を起こす。煙草に火を付けたマッチをなぜか捨てずに煙草の箱に戻すおじさんは股間を焦がす。塩の小瓶の蓋を緩めておくというセコいイタズラを仕掛けられてスープに大量の塩をぶちまけて憮然とした表情のパヴェク。またはオチクが何気なく椅子に置いた食事の上に座ってしまったりもする。自宅の地下の階段にビールを置いて冷やす際には7段目に置くのがベスト、6段目では冷え過ぎ、8段目ではぬるいと力説するパヴェク(隣の高い位置にある墓場で墓石を作っていたおじさんがパヴェクに誘われてパヴェク、スクルジュニーと3人でビールを飲むショットがすばらしい。おじさんは上部に腰掛けて、下に平行にパヴェクとスクルジュニーが並ぶ。この意外性のある高低差が孕むダイナミズム)。人妻をつけてきた不倫相手の男は、旦那が湖に潜っている間にキスをする、エトセトラエトセトラ…。

大きな物語があり、それに奉仕するような形で細部が構築されている、と言うよりはどうということもない細部の描写それ自体が生き生きと輝いており、観ているだけで大らかかつ愉快な気分になって来るのだ。これをいかにも東欧的と言えば言えよう(でもポーランドとかはまた違ったテイストだから「東欧」と十把一絡げにもできんかな)。

しかしながら、それだけの映画でもないことは薄々と体感されてくる。オチクが行く羽目に陥るプラハに対するある種の敵対心は、中央に対する周縁の反骨心であろうし、これは未だソ連の支配下にあったチェコスロヴァキアの情勢と照らし合わせることも可能だろう。または本作の登場人物はすべからく肩の力が抜けていてすっとぼけている。これは一歩引いた視線で俯瞰的に事象を眺める観照的な態度と言えるが、どうもチェコスロヴァキアの国民性の表象という気がする(ちなみにオチクにプラハは無理だ、なぜなら複雑かつ入り組んでいて云々というセリフが出て来るが、例えばカフカの小説におけるプラハは完全に迷宮であって人々はひねくれていて嘘を付き、真意が全く読めない。または、プラハ旅行者はしばしば「人間が意地悪」と言う。この辺のことまで考えると、単にほのぼのした映画とも余計に思えなくなる)。

楽しい映画なんだけども二面性と何とも言えぬ陰影、深みがある。考えさせられるのだ。これがチェコスロヴァキア映画の一典型なのかな。そんなあれやこれやが素敵な一編でした。
SatoshiFujiwara

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