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レベッカのEditingTellUsのレビュー・感想・評価

レベッカ(1940年製作の映画)
4.0
今夜も石橋秋のヒッチコック祭りです!
今作で、4作目となるヒッチコック作品。少しずつ奥深くまで入っていきましょう!

今日のテーマはヒッチコックが描くキャラクターのパワーバランスを見ていきましょう。

パワーバランスというのは、映画の中でふたり、もしくはそれ以上のキャラクターのうち、誰がその場をコントロールしているかということです。これは、どのストーリーテリングでも大切とされていることですが、その理由は、我々現実世界では、パワーバランスを必然的に感じているからです。
パワーバランスをどの目線から視聴者に見せるかというところで、映画の方向が決まり、現実世界よりも一歩先に入った映画の世界を楽しむことができるんですね。

ヒッチコックがそのパワーバランスをどのように使っているのでしょうか?

今作を例にとって見ると、一番最初のシーンであっても、イーディス夫人の元に雇われていた主人公には、明らかにイーディス夫人とのパワーバランスがありました。しかし、一度大富豪のマキシムと出会い、婚約することになると、立場は逆転し、主人公がイーディス夫人の元から去ることになります。
この主人公とマキシムのキャラクターを紹介するような小さなシーンだとしても、視聴者はそのパワーバランスの逆転に爽快感と興奮、期待感を感じ取ることができます。

ヒッチコックはこのように、小さなものから、ストーリー全体にかかるような大きなものまで、数多くのパワーバランスの逆転をキャラクター間につくりあげています。それがあるから、サスペンスが生まれ、ドラマが生まれ、ロマンスが生まれる。
この数と、そのダイナミックさがヒッチコックの大きな特徴です。

パワーバランスがキャラクター間に存在すると、視聴者はどちらかの見方につきます。さらに、そのパワーバランスが逆転しそうでしなかったり、それが原因で大きく開いてしまったりすると、さらいにそのエンパシーは強くなっていきます。そして、それが思わぬタイミングで逆転した時、もしくは願ったり叶ったりのタイミングで逆転した時に、その話はクライマックスを迎えるのです。

Aプロット、Bプロット、Cプロット、、、、と映画の中には多くのストーリーが絡み合ってできているのですが、その全てのプロットにパワーバランスの構築と逆転、もしくは再逆転を描くことで、ここまで奥行きのあるストーリーが生まれてくるのです!

ヒッチコックの映画で、長いなーと感じてしまったことがある人は多いかもしれませんが、その理由はヒッチコックが作り上げたいくつかのプロットのパワーバランスを理解できていないからでしょう。それは、文化的な違いなどもあるかもしれませんが、その多くはただ単に人生経験が浅いからです。(断言)
これは、つまりは、今後1年後、5年後、もしくは10年後、はたまた50年後に見た時には、全く違った感情をヒッチコック映画から感じ取ることができるということです。

2度と同じ感情を得ることができないのがヒッチコック作品。
これこそまさに、視聴者がいてこその映画です。視聴者が自分から足を映画の世界に踏み入れるからこそ無限の世界を楽しむことができる。まさに、映画界の天才。偉人です。

ぜひ皆さんも、ヒッチコックの極上の映画を楽しんでみてはいかがでしょうか?
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