shibamike

バグダッド・カフェ<ニュー・ディレクターズ・カット版>のshibamikeのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

ネットで見た記憶があるのだが、日本テレビの関係者が「水卜アナが日本テレビのアナウンス部に来てからアナウンス部の雰囲気が良くなった。」という結構大胆なことを言っていたはずである(信憑性怪しい)。水卜アナと言えば現在女性アナウンサー好感度1位の人気者である。本作にて豊満な女性ヤスミンがバグダッド・カフェの雰囲気を良くしていくのをスクリーン越しに見つめながら、自分は「水卜アナも結構ふくよかだったような…」というロクでもない考えが頭をよぎり「ふくよかな女性は集団の雰囲気を改善しがち説」を密かに胸に抱いた。

人間の人生に関して、自分は自分1人分の人生しか経験したことがない。だから、他の人の人生がどんなものであるか皆目見当がつかない。つかないけれども、きっとみんな自分と同じように、案外つまらない日常、つまらない時間を多く過ごしているのではないだろうかと乱暴に想像する。
自分は自分の日常がつまらなくなくなるのを心底願っている。いるけれど、脱出できそうもない。そういう人も少なくないでしょう。脱出したいけど、どうしたらいいか途方に暮れている人達。
本作に出てくる女主人ブレンダ。映画冒頭の彼女はまさにそういう退屈な日常に爆発寸前(爆発済み?)だった。そんな惨めな彼女の日常が、映画終盤には人も羨む素敵な日常に変わる。何故か?そういう映画だから。違う!ヤスミンが登場したからである。ヤスミンがバグダッド・カフェを変えた。見渡す限り砂漠とハイウェイだけの寂れたカフェ。住人、従業員達も何か人生諦め顔。そんな堕落人間達が見違えるほど生気溢れ、笑顔になる。これは「魔法」の映画である。自分にはこれはもはや魔法にしか見えなかった。魔法の力で退屈な日常がパァッと華やかになった。ヤスミンが終盤手品でカフェを盛り上げるのは手品の「マジック」と魔法の「マジック」をかけているのだろう。上映終了後、そそくさと映画館を後にしながら自分は驚いていた。「魔法ってあるんだ!」。「魔法を信じるかい?」という往年のヒット曲があるが、今日から自分は「Yes I Do!」と答える。

オープニング、ドイツ人夫婦の喧嘩シーンから映画が始まる。耳を塞ぎたくなるような騒々しさ。夫婦の仲が悪いことがよく伝わってきた。

バグダッド・カフェでは女主人ブレンダとダメ夫も大喧嘩し、夫は家を出てしまう。それぞれ一人ぼっちになったブレンダとヤスミンが出会う。ヤスミンは汗だく、ブレンダは涙だく。2人とも顔をそそくさと拭い、物語は静かにハイウェイを走り出す。(ヤスミンが素っ裸でドラム管にて煮込まれるの最高だった)

黄色いコーヒーポットの可愛らしさ。あれちょっと欲しくなるけど、T-falとかとく子さんの方が便利さでは優れているのであろう。というかそもそも道端に落ちてるポット拾う?というかその中身の飲み物を人に提供する?しちゃダメ!絶対に!
アメリカ式のコーヒーを飲んだヤスミンの「これがコーヒー?茶色い水じゃない。」は笑った。ドイツ人ってどんだけ、濃いの好きなの。

映画の舞台は見渡す限りの砂漠とハイウェイのみ。じりじりと照りつける太陽が暑そう。ハイウェイを飛ばす車よりもゆっくりと時間が流れていそうなバグダッド・カフェ。
あんな寂れたカフェで映画を作ろうと思った製作陣には脱帽。オシャレくそ映画と毛嫌いする人もいるかもしれないが、自分は雰囲気大好きである。
主人公ヤスミンは太った中年おばちゃんでとても絶世の美女とは言えないのだが、映画を観ているうちに我々観客には彼女がどんどん魅力的に見えてくる不思議。こういう見せ方も「女優」の実力なのだとしたら、女優ってすげぇ。ヤスミンが絵画モデルをしている時に乳首をそーっと見せるシーンには胸がドキドキした。

「働かざる者食うべからず」という人類の不文律がこの映画でも顔を出す。ヤスミンがオフィスを勝手に掃除するという働きをしてからヤスミンが住人達から受け入れられ始める。あとはブレンダがヤスミンにブチ切れるほど、その後仲がさらによくなっていく。ドラゴンボールZ フリーザ編にてサイヤ人が瀕死状態になるほど強くなる、みたいなことが頭をよぎった。
ベジータ「それよりこのオレを半殺しにしろ!!!いますぐだっ!!!」

夕焼けのシーンだと思うのだが、目をそらせなくなるような強い赤で風景が包まれる。血のように赤い夕方。

ヤスミンの手品ショーでバグダッド・カフェは大盛況となるが、そんな幸せな日々にヤスミンのビザ切れという横槍が入る。すごく現実的な横槍で微笑ましい。普通の映画ならもっとハードルの高い邪魔が入りそうだが、この映画では劇的な幸せがない分、劇的な悲劇もない。ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」という歌に「なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ なるべくいっぱい集めよう」という一節があるが、この映画のこと歌ってんじゃねぇかと勝手に思った。(ネットで何気なく調べてみたらヒロトとマーシーが本作を好きな映画に挙げていたという記事を見つけて、おしっこ漏れた。)

しかし、横槍が入ろうとも彼女達の魔法は消えない。最後にはハッピーエンドである。と思ったが疑問のラストなんである。画家のおじさんルーディがヤスミンにプロポーズする。「Will you marry me?」
自分はヤスミンがOK出して終わるものとばかり思っていたら、さにあらず。ヤスミンの回答は以下。
「ブレンダに相談するわ。」
これで映画終了。普通に「えっ!」って驚いた。ネットでこの部分を考察している人の意見などを読んで色々勉強になった。
・ブレンダはこの前に家出した夫と仲直りしているので、ブレンダに相談すると夫との復縁を薦められるのではないか。
・ヤスミンのパートナー(性別は超越)はあくまでもブレンダであるため、ブレンダの許可がいる。
・ヤスミン(受動的)とブレンダ(能動的)は2人で1人前のため、ブレンダへの相談が必要。
あたりの意見がなるほどなー、と思った。「話の流れ的にYESでしょ。」と短絡的に見過ごすには勿体ないほど味わいのあるラストだと思いました。そもそもヤスミンが離婚しているのか不明だけど。
このほか、ブーメランは繰り返す日常の比喩でブーメランがタンクに当たって戻ってこなかったのは繰り返しの毎日の終わりということを書いている人などもおり、わぁすげぇ!と感心。

心がじわーっとほんのり温かくなる映画で、涙こそ出ないけど心地いい映画だなぁと思っていたら、終盤のカフェでの派手なショータイムを目の当たりにし、少し涙が出た。人間のエネルギッシュな感情がショーアップされたエンターテインメントを見るとブルブル感動してしまう。

刺青師のデビーがモーテルを去る。理由は「仲が良すぎるわ。」。映画の中でこの映画の批判をしているように思えた。「こういう映画好きじゃない人もいるよね。」と製作陣が思ってこのシーンを入れたとしたら、面白い。自意識強すぎる気もするけど。

初めて本作を観たときは主題歌の「Calling You」を何とも思わなかったが、昨日久しぶりに聴いたらすげぇ名曲じゃんと感動した。年取るって不思議ねぇ。

科学や工学の分野では電子技術や情報技術が発展して機械や装置の性能がぐんと向上し複雑になった。昔のラジオとかは中身の電気回路見ても、いじってみようという気が起きるが、最近の機器は集積回路やなんやかんやでいじろうなんて気は起きにくい。とにかく複雑になったな、と思う。ただし、その精密さは昔のものに比べ圧倒的であり、整然さは壮観である。映画の分野においてもそういう複雑なものが増えているのかもしれない。複雑な心理描写、難しい撮影手法、科学や工学と同様に進んでいる気がする。そういったものについていく必要があるのか、懐古趣味で昔のものばかりにまみれるか、迷ったまま1987年製作の新しくも古くもない本作を観た。新しいから複雑、古いから単純なんてバカみたいな考え方がそもそも間違っているのでは?という気がした。
shibamike

shibamike