レオピン

評決のときのレオピンのレビュー・感想・評価

評決のとき(1996年製作の映画)
4.1
最終弁論のあのひと言の破壊力 全員を恥入らせたもの まるでオセロのようにバタバタと 一体何が起こったのか

答えはジェイクの訴えを真剣な眼差しで聞き入る陪審や聴衆たちの顔にある。聴衆たちが心の底で何を求めていたのか何をしたいのかが伝わってくる。それはまさに正義。

アメリカほど正義についていつもせめぎあいをしている国もない。何が公正なのかについて非常に敏感。正義中毒ともいえる。ある意味変種とも呼べるアメリカの法廷映画を見て楽しめるのはこれがあるからだ。群衆の心に小石を投げいれ波紋を呼び起こす。このような心理学的な効果は選挙や優れた広告にも使われているもの。

だがそこまで辿りつくのにグリシャム原作をたっぷり 2h29分 の脚本につめこんでいる。
1h15 サンドラ・ブロックのエレンがようやく仲間に加入
1h32 になってからようやく公判がスタート
今回は何者かに追われて地下駐車場や無人の倉庫に逃げ込んだりといったシーンはない。

敵は悪意に満ちているがどれもチンケな行為ばかり。大胆なのは裁判所前での狙撃くらいだ。その後も助手が拉致監禁されていながらも裁判は平然と進むところにやや疑問も沸く。この事件は裁判には影響しないのか。全米注目のハズだけど。

白人優位な公判の場所を移転したいという請願も、どこに行ってもミシシッピは同じだからと却下される。女房には逃げられ洗濯もできないからとパンツも穿いていない(いつもか)。暴漢に襲われた傷の手当てをエレンにしてもらうのだが、、ドキドキ

追いつめられ孤軍奮闘のジェイク、周りにいるのはどういうわけか酒浸りばかり。脚本上の抵抗地点 悪魔の誘惑 家を燃やされた後で友人ハリーからの一言 不倫一歩手前だろ
そして夫を暴力で亡くしてしまった助手のエセルからも厳しい言葉をぶつけられる。

判決前夜。エレンとカーラ、二人の女性になぐさめられるが勝算なし。このまま負けてしまうのか。(『評決』のニューマンも前夜には不安定になって泣いてたなぁ)

妻のカーラにアシュレイ・ジャッド オイル塗ってんですかってくらいテカってます
友人ハリーにオリヴァー・プラット マイク・マイヤーズと双子かな
秘書エセルにブレンダ・フリッカー
ノーズ判事にパトリック・マクグーハン
KKK支部長 カートウッド・スミス 『ロボコップ』

KKKのキモさがとにかく際立っていた。裁判所の前で黒人たちの反対側で頭巾姿の連中がコールしている。陽の明るい町中であの頭巾はほんと勘弁してくれ。今のオルトライトがよく自作の盾みたいなのを持っているが、このKKK集団も自作の盾を持ってて笑った

レッドネックはくそダサなマレットヘアみたいなバカ丸出しの髪形で腹はタプタプ。絶対こういう奴とは友達にはなりたくない。近くにいたら渾身の力でお前アホちゃうかの視線を送りつけてやれる自信がある

だがそれ以上に不気味だったのは薄暗いモーテルに集まって食事をとっている陪審員の方々。示し合わせないようにというルールを破って毎度意見を確認し合っている。でも彼らがそこそこに平均的な市井の人だったからこそ、最後の一撃にやられたわけだ。

みんな(私も)自身が差別をしているなどとは思ってもいない。だからそこは必死で認知の整合化をはかる。だが否定できない真実は自分の中にこそある。威圧的な白人中年男性リーダーの前で全員が有罪と腹を決めていたのにそれをくつがえしたものは何か。

秘密はスピーチの力。人々の価値感に訴えかけた言葉の空間。現実の沼に溺れそうなときに価値や理想で引っぱり上げる。その原動力ともいえるのがスピーチであり、彼の国のリーダーにはすべからく求められる能力だ。 

これが人種差別の問題であったことは観客は最初から分かっている。だが主人公だけがそれにわざと気づかないフリをしているかのよう。NAACPの協力を退けた後に、無邪気に二人でチームだなと持ちかけるが檻の中と外で組めるものかと無碍にされる。訝しげなジェイクだったがこの辺りにマジョリティ側の無自覚、鈍感、特権意識が垣間見える。それは最終日の公判前にもはっきり突きつけられる。

アンタは俺を他の白人と同じように見ている だからアンタを選んだ
いいか アンタが陪審員だったら俺を釈放するためには何が必要なんだ
 
前夜までまったくの無策だったが、ここにきて気がついた。自分はそれなりにリベラルなつもりでいたがそうかそういうことか。カールリーがとんでもない策士のように見えた。 

最終弁論には一種の仕掛けが含まれていた。脚本上の罠ともいえる。抱いていた偏見を改めてはっきりと公判の場にいた誰の目にも疑いようのない形で悟らせる。この恥の意識が人々を価値を選び取らせることに向かわせた。

制度的文化的差別のある中にいて中立的な立場はない。動く歩道の例えがある。何もしていない者はズルズルと差別の側に近づいて行ってしまう。後ろを向かせて一歩を踏み出させたところがまさに評決のときでした。

間違ってもこれを法律の目からみてどうこう議論する必要はないだろう。無罪イコール無実なわけでもない。だからそこは見ないでおく。この映画はまだ20代半ばのマコノヒーの素晴らしい演技とスピーチによって十分に説得力を持った作品でした。
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