三畳

こころの三畳のレビュー・感想・評価

こころ(1955年製作の映画)
4.5
梶(K)は、女との無駄話や無知、世話を焼いてもらうことや、旅行や遊びを、軽蔑、とまではいかなくても自分からは遠ざけ、ストイックな勉強と労働の暮らしこそを善しとする。
立派な仏教徒というだけでなく、若者にありがちな排他主義もちょい入ってる。

野渕(先生)は、そんな梶に人間らしさを求めるけど、野渕の指す人間らしさとは、梶が頑張って遠ざけているものたちを通して得る心身の健康。

野渕はよく「人間として」という言葉を使う。
私の身近にも、自分が気に入らない人物像を「人としてどうかと思う」なんて人外呼ばわりする人がいるけど、色んなのがいてこそ人間だ。

野渕は梶を「友達として、いや人間として救いたい」と言った。そうすることが、人と助け合い関わり合うことが当然の人間の善とでも言うように誇らしげに。(それが先生になる頃にはすっかり引きこもっている。)

野渕は気前も良く、梶をよく理解してるようでもあるが、金持ちの自分の価値観を押し付け気味でもある。
助け合いは結構だけど、梶は「何かお祝いをあげたいが金がないからあげることができない」。

でも、野渕の仮病を信じて薬を買ってきてくれた、結婚の申し込みを聞いたその日なのに…!

それぞれの理想の人間像を高く持つのはいいことだけど、不完全すぎる2人とも、人間らしいことこの上ない。

梶は、文章だと男の会話ってこんなもんかな、と思えるそっけなさも、映像で会話を見てると、ほんとに仲良いの?うざいと思ってない?ぐらいつれない。

ぬかるみの道で行き合うシーンや、弱ってる梶を責めるシーン、しんどい名場面の数々の心をちゃんと描いてくれてた。
これだけボリュームある話なのに2時間しかないのに、サッサと進むでもなく丁寧に感じた。

そして萌えるような緑、木漏れ日やそよ風が溢れんばかりのモノクロ映像の美しさに感動。対比のように、広い世の中で身の回りの狭い世界だけが全ての、理想像と自我とのギャップに苦悩して死んだ二人の男。

日置(私)はあのあと遺書を奥さんに見せるだろうか?
誰にも言わないでと書かれてるんだから言わないのが先生への義理だけど、遺された哀れな奥さんを見てもこれからも打ち明けられない辛さが、先生から日置に引き継がれた感。

先日観た新藤兼人監督バージョンも悪くなかったけど、第1部2部がバッサリカットされて遺書の中だけなのに対して、こちらは全編ほぼくまなく忠実網羅ちょい改変プラスαエピソード。

現在パートの存在が過去パートの決定的な出来事の重さを裏付けていることがわかった。
この世で唯一信頼してる妻が張本人だから打ち明けられない辛さ。

先生の学生時代の快活さが失われたなよなよしさも説得力があった。

お嬢さんも奥さんもイメージ通り!

梶は、強さと弱さ、優しさと厳しさが同居した人格を表す、演出、仕草が全部見事だった。

普通にツタヤにあるのに見てる人少ないですね。原作ありきなので映画としての評価だけとなると難しいけど大変良かったです。

間違えて消してしまったので編集して載せ直しました
三畳

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