Jeffrey

DISTANCE/ディスタンスのJeffreyのレビュー・感想・評価

DISTANCE/ディスタンス(2001年製作の映画)
2.5
「DISTANCE」

冒頭、山あいの湖に集まった四人。カルト教団"真理の箱舟"が無差別殺人を起こした。その五人の実行犯が教団の手で殺害された。教祖の自殺、三年後の夏、四人の加害者、遺族、命日、遺灰、山間の湖、慰霊、車盗、元信者、加害者。今、桟橋で燃えたぎる火を見る…本作は平成十三年に是枝裕和が監督、脚本、編集した長編3冊目で、主要キャストに浅野忠信、井浦新、伊勢谷友介などが共演した音楽なし音響効果だけで作られた作品である。この度BDを購入して再鑑賞したが懐かしい。是枝は一貫して性と死と喪失評価を得てきたと思うのだが、再生と事実と虚構を描きつつ、曖昧な境界線上に漂う人々を描いてきて海外でも高い評価を得てきたと思うのだが、本作は殺人事件の加害者遺族を物語の中心に構え、宗教をめぐるある一線を超えてしまった人々とこちら側にとどまった人々との心の距離を見つめた残酷な物語で、終始退屈な作品かつドキュメンタリー風な演出だが、加害者遺族と言う複雑な心の有り様を等身大の言葉で表現する登場人物たちが良かった。

それに演者たちがみんな若々しく、というか俺が見た時はもはや歳をとっている状態だった為、こんな若い時代が伊勢谷友介や寺島進、浅野忠信、ARATAがいたのかと当時見たとき思った。前作の「ワンダフルライフ」でも印象的だったドキュメンタリーとドラマの接点が本作にもつながっており、俳優たちの物語の方向性と人物設定だけを知らされ、脚本には書き込まれていない多くの部分を彼ら自身の感性や言葉で形作っていくと言うスタンスで脚本が作られているのも風変わりでなかなか面白い試みだ。ほぼ全編手持ちカメラで起動性を重視した山崎のドキュメンタリー風の撮影は、この作品の醍醐味の一つであり、一切の人工照明を排し、自然光だけで登場人物の心の動きを追っている感じは、デビュー作同様に生かされており、先ほども述べたが、音楽は全く使われておらず、見る者を旅の参加者に仕立ててしまうような演出と水の音や虫の音、都会の騒音までもがリアルに体感できて、登場人物の息遣いを感じ取れる作風とも思う。

家族を失った悲しみと身内から犯罪者を出してしまったと言う罪悪感とそんなやり切れない思いと心の痛みを背負った加害者遺族等と観客の距離は遥か彼方と言うことではなく、遠いいものではなく感じるし、なぜ彼らが暴走してしまったのか、それをまた全て社会へと責任転換している部分もあるが、人間のぼう然とした生の不安を描いた普遍的な作品としては評価できると言う人もいるかもしれない…。この作品L・V・トリアー監督がデンマークで結成した映画監督集団のドグマ95の手法をとっているかのようにも見えるが、そんなこともなく、手持ちカメラを限定ばかりにしていない。しかし音楽や人工照明の使用を禁止している事は、それに近いと思う。確かハーモニー・コリンの「ジュリアン」もこの方式で撮影されていたな。

この映画はどこからどう見てもオウム真理教の地下鉄サリン事件と言うカルト的殺人事件をモチーフにして描いているが、登場人物のトラウマ(心的外傷)や災害と戦争と暴力など、激しい精神的苦痛を伴う経験をしたときに受ける心の傷を持っているかのように見える。そういえば年代的には阪神大震災や地下鉄サリン事件の後でPTSD (心的外傷後ストレス障害)を発症する人が続出し、社会的問題になったことも記憶の片隅にはあるだろう。ところでこの映画を見て凄く違和感を感じた場面があるのだが、これは半分外国人の血が混ざっている私だからそう感じたのかもしれないけど、遺族が自分の親族や兄弟に実行犯と呼んでいるのだが、基本的に西洋ではどんな悪事を働いたとしても元夫は夫であり、兄は兄なので、決して冷たく実行犯と呼んだりしない。遺族が実行犯と呼んでいる理由は家族が犯罪を起こしたことで、自分にも何かしらの責任がもしかしたらあるんじゃないかと言う罪悪感を感じているからだと感じるが、西洋では個人の人権が何よりも貴重で重要視されるので、いくら身内が起こした行動でも意見が違えば批判するし、責任は起こした本人のものだと考えるからその点は日本式なのかなと感じた。別に悪いと言いたいわけではなく、面白いと言う言葉は安易な気がするが、なるほどなぁと言うか、文化の違いというか風土というかそういったものを感じた場面で私個人は面白かった。

まず物語に入る前に「ディスタンス」と言う映画の大まかな流れを西洋数字で表して軽く冒頭付近を説明したい。まずメインタイトルが現れる①"夜明けの桟橋"から映像は始まる。そして②"花屋"に移り変わり、ここではラジオのアナウンスでカルト教団による犯行の事柄が伝えられる。その次に③"新宿の街"が写し出され、軽快にティッシュを配る青年が映し出され、またここでもラジオのアナウンスが聞こえ、追悼集会が開かれ、参列が予定されている被害者の遺族裏によって黙祷が行われます。解散を余儀なくされた元教団関係者は、事件から三年が過ぎ…と観客の耳に入る。そして④"塾"予備校の教室で古文の授業が締めくくりに入っている場面に変わり、先生と女子学生や生徒の声と話が写し出される。ここでもラジオのアナウンスが流れる。⑤"ゴミ投棄場"建築廃材の不法投棄場側に止まった、白いステーションワゴンが映り、運転席のカーラジオの放送が聞こえ始める。

⑥"老人ホーム・内"静まった廊下を歩いて行く男の後ろ姿。その右手には草花の小さな花束が握られる場面に変わる。ここでは男とヘルパーの会話が写し出される。⑦"老人ホーム・屋上"夕暮れの老人ホームの屋上と周りの木々から蝉の声が聞こえる場面で、車椅子に乗った老人の手には、古いアルバムが開かれている描写に変わる。続いて⑧"渋谷のゲームセンター"二人の消防士が、燃え盛る火の海に向かって勢い良く放水するゲームの画像が映り、若いカップルらしき男女が戯れている。⑨"多摩センターの街"明るく街頭の灯る道を、ー人歩いている仕事帰りの女が映り、コンビニの袋に入ったミネラルウォーターがその両手に下げられている⑩"新宿・焼鳥屋のカウンター"客の賑わう焼鳥屋のカウンターで、上司と会話している男らが映る。そこから主な流れは…11.渋谷、洋服屋。12.きよかのマンションエレベーター13.きよかのマンション内14.新宿焼鳥屋のカウンターに戻る15.渋谷の夜道16.飲屋街17.きよかのマンション内18.実のアパート19.敦のアパート20.きよかのマンション21.国道沿いの空き地22.小海線下り列車23.小海線路線脇の空き地24.長野県八千穂駅25.駅ロータリー26.山へ向かう車(車内) 27.熊笹の林道28.山へ向かう車(車内) 29.駐車場から林道へ30.山道31.桟橋32森の坂道33桟橋34湖へ続く道35 桟橋36森の坂道37山道の休憩所38林道39駐車場…と続く。


本作は冒頭に、夜明けの静かな湖の薄暗いファースト・ショットで始まる。ゆっくりとタイトルロールが映し出され、一人都内で花を手に持っている男性の横顔がラジオの教団によるウィルス事件をナレーションとして流しながらそれぞれのカットが写し出される。花屋、学校、車のトランク、病院と…。続いて、登場人物の一人"敦"が父親の見舞いにやってくる。ナースが息子さんがお見舞いに来ましたよとベッドに横たわる父親に話。カットは代わりゲームセンターへ。登場人物その二、"勝"が女とゲームをしている場面、登場人物その三、"実"が居酒屋でサラリーマン風の男とカウンターで会話をしている場面、登場人物その四、"きよか"が自宅にいる姿、勝が敦に携帯で電話をしている。どうやら高校の時の友達で久しぶりに渋谷で会おうとの事。勝は女と渋谷を歩き、焼きを食べている。

カメラはそれを手持ちカメラで撮影する。雨が降るその夜。実が一人繁華街を歩く。きよかが自宅で冷凍食品(グラタン)を温め熱いと言いながら食べている。実が自宅へ帰宅し、奥さんがマニキュアをしながらぶつぶつ話している。子供が泣き始め、母親が近寄る。父親である実は台所で顔とうがいをしている。敦が自宅のパソコンの前で写真を見ながら合成写真をPCで作業している。いちど画面をフェイドアウトし、ベッド際のランプがつき、きよかが起き上がり炊飯器の中で米を洗う。おにぎりを作っている。カットは変わり翌朝…さて、物語はカルト教団"心理の箱舟"の信者が東京都の水道水に新種のウィルスを混入し、一二八名の死者と八千人に及ぶ被害者を出すと言う無差別殺人事件が起きた。その後五人の実行犯たちは教団の手で殺害され教祖も自殺した。それから三年目の夏。山あいにある小さな駅に、四人の人間が集まる。

花屋で働く敦。気ままな学生生活を送っている勝。予備校の講師をしているきよか。建設会社に勤める実。加害者遺族と言う接点しか持っていない四人は、ー年ぶりの再会に礼儀正しさと親しみさの微妙に入り混じった挨拶を交わす。一行を乗せた敦の車が林道の尽きたところに止まる。急な山道を下ると、実行犯たちの遺灰が撒かれた小さな湖に出た。訪れる人もいない、静かな湖だ。古びた桟橋に一列に並び、四人は湖面に手を合わせる。四人が林道まで戻ると盗まれたのか、敦の車が忽然と消えている。とても歩いて帰れる距離ではない。人気もなく、携帯電話も通じない。帰る帰らないをめぐっていざこざが起こっているところに、さっきの湖で見かけた坂田がやってくる。テレビで見たことのある元信者だ。その坂田のバイクも消えている。野宿するわけにもいかず、結局五人は実行犯たちが最後の時間を過ごしたロッジへ向かうことになる。埃だらけのロッジで言葉もなく佇む五人。信者たちの生活の痕跡が残るこの空間で、彼らは今まで目を背けていた記憶と否応なく向き合うことになる。

湖の桟橋で話している白い修行服の坂田と夕子。あっちの世界に未練は無いの?と聞かれ全然ないと言う坂田だが、突然彼女に向かって、二人で逃げようと言い出す。笑って首を振る夕子。翌朝、坂田は脱走した。ロッジの窓から黙って見つめる夕子の視線から逃げ出すかのように。教祖ってどんな人だったんですか? 二人きりの場で敦が聞く。お父さんみたいな感じの人だった、今は何とも思ってないと坂田の答えに黙ってうつむく敦。夜明け。ロッジを出た五人は再び湖に足を運び、黙って湖を見つめる。親切な軽トラックの荷台に乗せてもらった五人はようやく駅までたどり着く。翌朝、立ち食いそばの店で腹ごしらえをする勝の携帯電話が鳴りだす。実も敦もきよかも急に現実に引き戻され、ハシを置いて携帯電話をかけ始める。坂田だけが黙ってそばをすすっている。

東京に向かう列車の中、坂田が意を決したように敦に話しかける。あなた、本当は誰なんですか?…じゃあまた来年…。新宿駅の雑音で握手を交わし、五人は別れた。勝も、きよかも、実も日常に戻っていく。そして敦は…。敦は花畑を手に親しくしていた老人を尋ねるが、老人は三日前になくなっていた。老人ホームのヘルパーのてっきり息子さんだとばっかりと言う言葉が彼の背中に投げかけられる。一緒に理想の教育を追求しようと熱心に向かう側へ誘う夫、環。きよかはそんな彼についていけない。事件の直前、彼はいちどだけ帰宅して、宮沢賢治の詩の意味がわかったと興奮するが、そんな彼を彼女は追い出してしまうのだった。アルバイト先に訪ねてきた兄は突然出家すると勝に告げた。勝はそんな兄に対して関心を持たなかった。兄が子供の頃から金槌だったことを思い出して笑い合い、握手して別れたのが最後になってしまった。

新宿の喫茶店。実の前には妻が座り、彼女の隣には高校時代の野球部の後輩宮村がいる。妻は家を出て、宮村と教団へといくと言うのだ。現実から逃げてるだけだと批判する夫に、宮村は実さんの現実は本当なんですか?と問いかける。夜の街を歩く敦と夕子。夜と朝の間のサイレントブルーと言う時間が好きだ、と言う彼。それは一日の終わり?始まり?と聞く彼女。私は今、そのサイレントブルーの中にいるのかもしれない。終わって、始まるその歴史に参加するんだ。彼女はそう決意を語りながらヒナギクの花をちぎり、川に投げ込んだ陽が落ちた後、ロッジの中庭で焚き火を始めた敦と勝。坂田も火のそばにやってくる。あの事件を止めることができなかったのか?と言う勝の問いに、自分も裏切るつもりはなかった、それはあの場にいた人間にしかわからないことだと逃げる坂田。だが、彼にもまた向き合うことを避けてきた記憶があった。百合の匂いのする玄関の記憶。両親の諍な声が重なる。そして庭で家族の写真を焼いている父の後ろ姿。それが父を見た最後になった。そして敦は百合の花を手に、一人もう一度湖に向かう…とがっつり説明するとこんな感じで、退屈だが一度位見てもいい映画である。



いゃ〜、それにしても伊勢谷友介が着ている鮮やかなオレンジ色の文字がたくさん付いているTシャツの派手な格好はインパクトがある。代官山で購入したらしいが、彼が着ると違和感なく見れるのがまたすごい。さすがはモデル出身(笑)この作品も長回しが結構目立っていて、半分ドキュメンタリー映画である。この作品の中での五人の位置がポジショニングとして現れているのは興味深い。これは監督の指示だったのだろうか、それとも彼らの性格がそういうポジションにしたのだろうか気になるところである。クライマックスのマッチによる放火が余韻を残すエンディングである。それにやっとトラックに乗って山道を降りてきて、そばをみんなで食べる場面でようやく圏外から復活した携帯を使ってみんなが話し合って現実に戻る場面で、唯一浅野忠信演じる男がそばをすすっている場面はシュールで面白い。彼には連絡を取る人がいないんだなと言うのを強調している場面であった。

この映画は役者とカメラの距離が非常に離れていったり近づいたりしていて、山奥の静かな場所でのまるであさま山荘事件を思い浮かべるようなロッジでの会話劇は非常に良かった。なにげに置いてある冷蔵庫もインパクトを残すし、出演者みんながいい味を出していた。さてここでそれぞれの登場人物の特徴を個人的に思ったのを話していきたいと思う。まずARATA演じる敦は病院に老人を訪ねる青年で、パソコンの画面で架空の家族写真を合成する趣味があるようで、教団に身を投じた美しい姉のためにヒナギクの花束を捧げたりする人物で、自分の中に神と言うものは存在しないと思っているらしく、姉と二人、川辺を夜の街をさまよう彼の姿が印象で、そんな彼のいくつかの横顔が旅を通して少しずつ変わっていく。そして彼には大きな秘密があると言う役柄である。

今思えばARATAはモデルとしてパリコレクションやファッション誌等で活躍後、是枝監督の「ワンダフルライフ」のオーディションを受け映画初出演したと記憶しているが、主演としての確かな存在感を印象づけたその作品は彼の代表作だろう。続いて伊勢谷友介演じる勝は喪失や後悔とは無縁に生きているように見えて、事件が起きるまで、彼は兄に特別な感情も関心を持ったことがない人物で、彼の兄は泳げなかったために父にプールにつき落とされることがあった。しかし兄を助けようとしなかったことすら彼の記憶には残っていないのだ。恋人と気ままな毎日を過ごす彼にとって、この旅はどんな意味を持つのだろうかと言うのを観客に与えている印象が強かった。派手なファッションに身を包んでいる分、やんちゃボーイって感じ。彼もモデルとして数々のファッション誌やコレクションに出演して、国内外からの注目を集めていた若手であり、彼も初の映画出演作が「ワンダフルライフ」のオーディションでの発言のユニークさが、脚本にはなかった伊勢谷友介と言う役を是枝監督に作らしめたと言う話は有名だろう。残念なのは最近ニュースで色々と騒がせている事件を起こしてしまって、これからどうなるかが分からない状態でいる。

寺島進演じる実は高校卒業して建設会社に就職した。彼なりに必死に毎日の生活を送っていて、夢も置き去りにしている。仕事のために手を汚すこともいとわない。なのに妻は去ったと言う人物だ。実が妻の入信した教団が何を目指していたのかなどといったことには興味は無い。彼の関心は妻と宮村の関係ただーつ。ロッジに残された布団にこだわる彼の姿こそ、現実的な人間性を醸し出していた。寺島と言えば北野武映画の多くに参加している名脇役者である。彼も「ワンダフルライフ」に続いて本作が二作目の出演作となる。夏川結衣演じるきよかは大学の先輩後輩として出会い、共に教師になったー組の夫婦。実際の教育現場に馴染めず、理想を持ちすぎて自らの脆さと挫折から目を向けようとするエリートの夫と生活の場にうまく着地点を見つけることが出てきた妻役。

手に入れたかに思えたささやかな幸せは崩れたとき、きよかは母としての現実も、教師としての現実を受け止められなくなっていくと言う役柄である。そして浅野忠信演じる坂田は家庭の中にも、学校や友人関係にも社会の中にも居場所を見つけられなかった人物で、教団は信仰の対象以前に、彼が初めて見つけた居場所であり、家族であったらしい。しかし彼はそこからも逃げ出した。そして今もまだ別の居場所を見つけることができていない。そんな彼の姿こそ、私たちの存在の負の側面の具現化と言えるのではないだろうかとされている役柄である。是枝作品の大傑作「幻の光」で夫役を演じていた浅野忠信は本作で六年ぶりの出演となっている。映像は綺麗で、この作品も路線が出てくる。是枝は線路を映画に出すのが好きな作家であるな。侯孝賢のドキュメンタリーを手がけるぐらいだから当たり前か。
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