Melko

ビューティフル・ボーイのMelkoのレビュー・感想・評価

ビューティフル・ボーイ(2003年製作の映画)
4.3
素晴らしい。わたしの大好きな競技をテーマにしているのもあるけど、それを抜きにしても素晴らしかった。文句なし、ベストムービー入り。多くの人に見てほしい映画。

ムエタイが好きだ。
昔テレビでやってた総合格闘技戦でブアカーオを見て目覚め、トニージャー、ジージャーヤーニンとムエタイ映画は一通り見てきている。でも、痛いのは苦手。人が痛がるのも。ただ、技の華麗さに魅せられる。蝶のように舞い、蜂のように刺す。
ムエタイ選手は皆、軽量なイメージ。一発一発の攻撃は重くない。が、迅速かつ的確な場所に入れることで一発必殺が狙える。
この話の主人公、トゥムも同じく、痛いのは嫌いだが、技の美しさに魅せられムエタイを極めた人。実在のムエタイ選手パリンヤー・ジャルーンポーンその人。
調べてみたら、知ってた!!見たことある。白塗りの顔。この人だったのか…描かれる戦歴が事実なら、めっちゃくちゃに強い選手だ…

ノンフィクションなので、結末はわかりながらも、何度も涙した。
性同一性障害のトゥム。きっかけは、ほんの些細なこと。そうしようと思って意図的にそうなったわけではなく、もう、DNAに組み込まれたこととしか思えない。女の子が着る物、する仕草、料理、化粧。すると落ち着く、というよりは、安心する。
一方で、その女性性と対極にある男社会なムエタイにものめり込む。最初は家族への仕送りのための賞金稼ぎ。でも、ナヨっとしていじめられてた自分が、ムエタイをすることで自分を守れる。戦える。強くなり、自信をつけていくトゥム。でも……
男な競技を生業にし、心は女。軽量で裸になれず、「脱げ!脱げ!」と野次馬に言われ、話題作りのためにオカマのふりをしてると言われ、遠征先の日本ではタイ人女性に「タイの恥さらし」と言われ。

自分は何になりたいのか。どんなに望んでも、自然に女の体にはならない。屈強で引き締まった「男」な体つきの自分を鏡で見て、一心不乱に全身に白粉をはたくのが切ない。それでも、女にはなれない。
葛藤の先に、たどり着いた答え。お母さんに涙ながらに「この体じゃ死んでも死に切れない」と吐き出す。どれほど苦しかっただろう。苦しみをずっと見てきた家族も複雑だっただろう。
覚悟を決めた手術の日、同意書にサインを渋ったお父さんが、体裁ではなくトゥムの体を心配したからだったのが泣けた。

高スコアは、迫力あるムエタイの試合シーンと、性同一性障害者であるトゥムの内面の葛藤が、非常にバランス良く描かれていたから。どちらかに偏っていたら、点数も満足度ももっと低かったと思う。
トゥム役の俳優は、演技未経験のプロのムエタイ選手。だが卓越した演技だった。心と体の間で葛藤する様子がひしと伝わってきた。
「主役の凄さは、敵役がいてこそ成り立つ」と特典のインタビューで語っていた監督。うーん分かってるねぇ。その言葉通り、作品中出てくる試合は全て、当て真似ではない、ガチの試合。ガチで殴り蹴り合っている。特典映像を見ればわかる。

冒頭、インタビュアーが襲われた時に助けに入るトゥム、赤いドレスがファサッとなりながらの華麗な蹴り!美しい。

同じ白塗りをしてふざけながら挑発する敵選手に、「あんなみたいなブスは女の恥よ!」イカす。

周りの目は厳しかった。でも、トゥムが女性性を確実にしていく過程での、お母さん、女友達、師匠の奥さん等、女性たちのアシストと理解が非常に良かった。

トランスジェンダー、女装家、オネェ、色々な方がいらっしゃるが、各々にトゥムと同じような過去があるのかもしれないと思うと奥深い。

男もツライ。女もツライ。どちらがツライなんてことはない。ただ、「自分が何者になりたいのかを忘れること」がツライ。終盤、各年代の自分がバス停に座ってるカット、良かったなあ。女性になったトゥム、綺麗だったなあ。

ああ、溢れ出る想いで長くなってしまった。ベタでコッテリした画、でも、良い映画だった。
ただ、他の人も書いてるように、邦題!文句言いたい!!ビューティフルボーイ、わかりやすくて端的なタイトルなんだけど、、違うの、、ビューティフルなボクサーなの、、それがトゥムなの…!!
Melko

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