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深紅の愛 DEEP CRIMSONのニューランドのレビュー・感想・評価

深紅の愛 DEEP CRIMSON(1996年製作の映画)
3.7
✔️🔸『深紅の愛』(3.7)🔸『嘆きの通り』(3.6)🔸『純潔の城』(4.0)🔸『聖なる儀式』(3.6)🔸『境界なき土地』(3.5)▶️▶️ 

 昨日の『ダホメ』からだが、本来の映画はかくあるべし、を実感してきてる。『深紅~』。作家の映画より、映画は風俗反映、立ち止まらないものが本道か。変にトンガったのより、この配慮や余裕、滑らかさが映画のいのちか。この作家のブームは1990年代に一度あったが、その時に比べ色彩が柔らかくやや押さえめの指定での、作家特集の気もするが、当時は時代の風潮に乗ったイケイケ映画、かつ濃密な風俗映画の印象だった。見直すと、点数的には僅かのアッブ位にしても、初期作品のような流れが行ったり来たりの辿々しさのない、淀みない差配コントロールに手放しで拍手の感。作品の色んな揺れ巾もある。
 序盤の闇多くスポットライトめ求心地の存在から、夕光的な色合いが風土と陰惨の部分をまろみ付けて強調するような終盤まで、そして汚れらもあって敢えて不確かな(格子)窓ごしや鏡面の図の横行の中、この20余年前同じ題材を撮り始めて解雇されたスコセッシが狙ったのと同じと言うべきか、元々のこの作家のスタイルが完成されたというべきか、繰返しや逆戻しも気にならぬ、前後や横へや廻るめ、手前へも詰めてくのや不意の臨場感も併せ持った、優雅滑らかな、ほぼワンシーン=ワンカットを実現したカメラワーク。やがて、シーン中の角度変や、1シーンじっくりというより複数シーン切り替え対比、更には寄りの顔の切返しめまで、手綱を引き締めてくる。
 見てくれ(カツラ必需や肥満体)や口臭等に極端なコンプレックスを持ち、それが補完された、「誇り」や「運命」の相手の為の存在に成りきる(相手が嫌がる子供迄手放すが生涯苦しむ)「犠牲」に、動力得たり振り回されたりして、財産を持つ未亡人を結婚詐偽で引っかけ殺害してく(看護師で薬物に一応詳しい)シリアル・キラー、コテコテ下層もしぶとい男女の、先の大戦前頃の、ローカルヘンテコ味わいのコメディ。禿げがばれると弱者を殺しかねない暴力にとち狂ったり、未亡人と男の実態に異常に嫉妬が、可笑しく狂おしく、残虐で、まさに血と身体と運命の稀有な繋がり例。真っ当に神にも向き合ってるので、悪どいまでの逃げおおせはしない。
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 この作家を思い起こしたは、ちょい前、新宿の映画館前で足早に出てきた、鑑賞本数王に出会い、何か観たの?と聞くと、大事な物は秘めての姿勢で題名を言わなかったので、関心が再燃した。あの人が、と思ってたら、2人のベン以外は殆んど知らないようなTIFFで作家特集。乗り気半分だが、観て見たくなった。しかし、我々の何倍、マスコミが取り上げる作は何でも、時には繰返し食べる人だ。今考えると、嗜好やポリシーと無縁の、本能の行動に遭遇しただけかも。
 モノクロの近作『嘆き~』も、滑らかな長回し移動(先のに併せ、前後や横へ、対象の動きと逆に動くのも)が更に進化してて滑らか見事で、終盤犯罪発覚からはスピードや切り替え、集中抽象性、を一気高めて来るのも同じ。
 メキシコシティの、街娼やルチャリブレといった正業とも言えぬもので生計を成り立てて、子供たちは反発し、壮年の男は寄っ掛かって働きもせず同性愛にも耽ってる区域。元締めからも見放された、運命の絆を長く保ってる、初老の娼婦2人は、老母を使っての乞食も、ら経て、昔やった目薬混ぜての、昏睡強盗を計る。只、相手がルチャでシャドー役してる双子の、ミゼットだった為、致死量超えて、指名手配へ。少しくらいまた務所もの2人だったが、事の大きさに市外脱出を急ぐ。しかし双子の母の激しさ、怪訝な2人に薬売った店員らの、力が働き早期逮捕に。
 筆の捌きは益々見事になり、詰めの密度も充分。ちょっと口ごもりたくなるような、どぎつさもコミカルに人間味や鮮やかさの方へ転化。
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 一貫した何かというより、奮闘進化してる姿がこの作家の、作家主義やアルチザンとは違う、しぶとさと巧みさか。初期のも三本上映も、タッチ・進行や、キャラの突き進みや改心で、ブレて行き戻りしながらの展開で、後期2本の滑らかさや完成度には至ってない。カット繋ぎやカメラワークも力入ってるが、うまくは纏まってはいない。しかし、キャラやその世界、行き着く所への執着が尋常でもなく、若気のいたり、どころか迷い苦しみながらの、筆致の力や張りは凄い。
 長編処女作の『純潔~』は取り分け圧巻であり、見事にも至っている。殆んど1建家で進む徹底ぶり。老舗の製薬(鼠除去剤)工場で自宅の、街からも孤立隔離されたような存在の、1.2階の各部屋と内外階段、中庭の柱と石庭、門塀囲み、の造り込みと経年の年期、常に強い雨が包んでる、湿度と打ち付け感の閉塞感、枠や柱越し・窓や格子通しての、限られ狭いミスティックで歪な図ら。そして、家族・特に子供たちを、病気と価値観くずれ風潮から守る為に、外気と触れさせず、権威と暴力にで完全支配してる父、それを描く作者のブニュエル的狂気の、侵食。学校にも行かせず公呼び出しに応ず位で、近所では夫妻だけと思ってる人も。製造許可がないのでは、禁止薬剤使用では、と同業やっかみによる介入もあるが、上層の階層とツーカーの背景ある。只、昔からの丁寧な造りは、安易な造りの安価に押され、経営は圧迫されてきてる。それらもあり、妻を通し、優しさや理解へもブレてバランス取れてたのが、次第に専制狂いぶりが増す。兄妹の性的接近にも敏感過ぎる程。3人の子は、暴力で真っ当返したり、紙片で通報告発へも、流れ出す。そして、大捕物へ。
 万全には今一つだが、雄大な横へや斜めの移動や求心的な縦移動、全と部分・角度・対応や切返し・らのカッティングもほぼ乱れなく結び付いてる。(内的)暴力性も本物。1作目にして最高傑作。話の無理なこと自体が力にも。
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 続く『聖なる~』は、歴史風俗や品格、主体の自由で伸びやかカメラワーク、より、本格だが、こちらの歴史解釈力の弱さのせいかもわからないが、中心へ向かう縦移動や一般カッティングは、ややズレ乱れて、真の密度が薄まってる気がする。しかし、即物的な火刑の、身体が炭的に崩れ・縮こまる、捉えのラスト辺の冷徹度は、ちと得られないもの。
 16Cのメキシコでのユダヤ教を隠し信奉してる家族に対するを中心とした、宗主国スペインの異端追求、裁判処刑の、現地風土のクッションや歪み通しての、一方的聞く耳持たない弾圧ではない、曲がり道しながらの残酷。疫病により急死の父の葬式に戻った、幼い時より修道院にやられてた長男の、怪訝・告発による一家の逮捕。禁固や牢獄追求。潜入捜査僧を逆に変えてしまった・次男は、実際のユダヤ教保全と拡大に、敢えて改宗を宣言、家族の罪を軽くす。しかし、ユダヤ教引っ込めない頑なな親戚との軋轢等、限界や矛盾に苛まれ、横道にもズレたりする中、家族と同じく拷問にも簡単に屈し、真の解決へ再度全てというか、異端者の名、親族まで告白す。悔悛度合いの述べにより、先に絞殺され死体になっての・或いは生きたままの、皆の火刑へ。
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 『境界~』となると、辺境の街の奇怪コメディを、角度変えや出入りどんでんらが細かく丁寧なカット・断片組上げカッティング主体で続き、車や衣装他赤がチャーミングに途絶えぬ可愛さ、全てが箱庭的こじんまりスッキリと進んでいきそう、一般作紛い、スタンダードな標準作を目指した感。しかし、売春宿経営の娘と暮らす、性器は無力、のオカマダンサーの、真っ当華麗な奇態のメイン外れずと、娘存在のミステリー興味持たせ、でやはり普通とはちと違う映画。残酷な暴力性にも、やはり至る。過去のシーンの入れ方は、必ずしも、うまく機能してない。
 地方の寂れた街全体を買い上げて有利売却に向けて動いてる、老権力者。ネックになってる娼館の、若い女主人の(オカマダンサーの)父は、戻ってくる街のならず者に怯えてる。がそれは、ならず者と見えて、老権力者の世話になり、今もトラック配送の便を測って貰っる者。その姉は娼館の娼婦で、その夫は手放す気になってたGSを経営してた。ならず者の女主人を痛める策に敢えて応じ、姿を現し、揉めの原因の同性愛引き込みを
再度オカマ。しかし義兄の参戦で逆転、暴力に晒して命を奪われる。ダンサーが子を儲けたのは、嘗て老権力者から娼館を得るために、ダンサーとの性交成し遂げの賭けで、勝った女、今の女主人の母の力によるものだった。
 コンパクトな作りに、それだけに収まらない意地と奇態を溶かし込んでる。作家資質もやはりあり、可笑しみから、奇行・残虐までの振れ巾は得難い。性と聖なるものの振れ巾も。
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