まぬままおま

パリ、テキサスのまぬままおまのレビュー・感想・評価

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
4.5
ヴィム・ヴェンダース監督作品。
名作。みてよかった。

息子がいるにも関わらず4年間も行方をくらまし放浪していたトラヴィス。彼は過去の傷ゆえ容姿に無関心で無口である。彼の弟のウォルトは、兄が倒れたと連絡を受ける。するとわざわざ遠いテキサスまでいって、彼に献身的に尽くす。しかもウォルトの妻のアンは彼の息子ハンターを息子同然に育ててくれていたのだ。彼らのおかげで徐々に口を開くようになり、服装にもこだわり始める。4年ぶりに再会した息子とも関係性を深め、父と呼んでもらえるようになる。ここまではいい話だ。
だがトラヴィスは妻のジェーンに会うために、突然息子をかっさらうように連れ出し、ヒューストンに向かう。献身的に尽くしてくれたウォルトとアンを反故にする行為。この時のウォルトとアンの絶望感はつらい。

ジェーンとの再会もつらいものがある。ジェーンは息子に仕送りするために風俗店で働いている。彼は落ちぶれた彼女を目の当たりにする。またこの店では客がマジックミラー越しに女性と会話するシステムだ。だからトラヴィスとジェーンは目を合わすことができないまま、そしてトラヴィスは反射された自分自身に語りかけるように過去の傷を開示させるのである。

トラヴィスは彼女を愛しているがために彼女に執着し、自由を奪った。それは彼女をモノとして所有し、享受する行為であると言えるだろう。彼女の主体性は抹消され、彼の欲求のままに彼女を味わう行為。それに彼女は苦痛を覚え、夢へと逃避することも分かるだろう。だから彼女が住処に火を放ち、彼を殺そうとしたことや息子を手放し自由を取り戻そうとしたことはとても分かる。

彼も過去の過ちを自覚している。だが彼は過去の過ちをどのように償えばいいか、傷をどのように回復できるか分からないままである。だからハンターとジェーンと共に暮らすことを断念し一人逃避するのである。
彼はハンターに宛てたメッセージでこのように言う。
「僕は一緒に生きられない」
「過去の傷がぬぐえないままだから」
「どうしてもダメだ」 
「空白が空白のまま」 
「自分が発見するものがこわい」
「それに立ち向かわないことがもっと怖い」

空白とはジェーンへの欲望ではないだろうか。ジェーンを愛するがために、彼女を自分のモノにしようとする欲望。だが彼女はモノではないから絶えず彼の手から逃れてしまう。この欲望は決して充足されないものである。
彼は彼の内なる欲望を発見することが怖い。その欲望に立ち向かうことも怖い。だから火を放たれた時のように、「自分の形跡が完全に消えるまで」逃避するのである。

彼の逃避は欲望と同様決して満たされない行為である。4年前の彼はテキサスのパリスへ逃避していたが、そこの終着地は空地であった。今回の逃避で到達する場所も空白であるはずである。
そして彼の逃避への警告はすでにされている。高架での精神に異常をきたしていると思われる男の警告である。
彼は言う。
「安全な地帯などどこにもない」
「私が保証する 安全地帯は抹消されている」
「安楽の地と信じた所には安楽でないものが待っている」

ジェーンとハンターが共に生活するために、自分の形跡を完全に消そうとする逃避。だが彼の逃避はどこにもたどり着けない。身を休める安楽の地はそもそもない。むしろ彼には充足されない空白のみが待たれているのである。

ではどうしたらよかったのか。私は彼らがマジックミラー越しに会話した時、一瞬ジェーンの顔にトラヴィスの顔が重なったことに手掛かりがあると考える。つまり他者の顔に自らの欲望が重ねられていること。そして顔は決して自らと同一化できないこと。それに鏡のように眼差しを向けること。それが大切であると思うのである。

蛇足
ジェーン役のナスターシャ・キンスキーが美しい。ボブの髪型が好き。