Jeffrey

パリ、テキサスのJeffreyのレビュー・感想・評価

パリ、テキサス(1984年製作の映画)
5.0
「パリ、テキサス」

〜最初に一言、ヴェンダース映画の最高傑作の1つで、ロードムービーの中でも上位に来るほど好きな1本である。彼の全ての旅の様子が詰め込まれた集大成である。過去の愛と現在の愛を巧みに捉え、見事にパルムドールを受賞した84年の傑作。風景の似合う男、夢と絶望のクライマックス、見終わったときの余韻が忘れられないほどの素晴らしい作品だ〜

冒頭、国境を越えてテキサスに入ってくる男。記憶を失い、荒野を一人彷徨う。4年間失踪し続けた理由、息子との絆、妻への愛を貫く、ガソリンスタンド、息子、クラブ、とある女性への想い、マジックミラー越しの会話。今、ロードムービーが優しく始まる…本作はヴィム・ヴェンダースが1984年に西ドイツ、フランスで合作したパルムドール受賞作品で、この度BDにて再鑑賞したが傑作。とんでもなく好きな映画だ。原作は脚本のサム・シェパードによるエッセイ"モーテル・クロニクルズ"で、ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキーを初めて知ったきっかけの作品でもある。本作のときにはすでに長編第11作目だった彼の名を世界的に知らせた記念碑的映画だが、既に70年代からニュージャーマンシネマの4大監督の1人として、ファスビンダー、シュレンドルフ、ヘルツォークとともに知られ、とりわけ旅の映画、74年の「都会のアリス、」75年「まわり道」76年「さすらい」でロードムービーの第一人者と目された事は周知の通りで、確か75年にベルリンに作った独立プロダクションの名前もロードムービーだった様な…。

77年「アメリカの友人」の公表から、フランシス・コッポラに招かれてハリウッドに渡り、「ハメット」の準備に着手した頃に1つの転機を迎えていたのではないだろうか。今思えばその「ハメット」の脚本も本作の脚本家のシェパードが担当していた。彼の"モテル・クロニクルズ"の中のー行から、トラヴィスのイメージが生まれることになったのは有名な話だ。そしてアメリカとの合作を断りながら全編をアメリカロケで撮った破天荒のヨーロッパ映画として誕生したのが本作である。すでに81年に監督した「ことの次第」でベネチア国際映画祭最高賞の金獅子賞を受賞し、続けてパルムドールを受賞している(間に数本あるが)。確か彼が2度目の来日の時に撮影したのが、小津安二郎監督のオマージュ映画「東京画」を85年に完成させている。「パリ、テキサス」は最初はコーパス・クリスティと言う(原義はキリストの聖体)を考えていたようだが、いくらなんでもそのタイトルはと言う話で変わったらしい。さて物語を説明していきたいと思う。



さて、物語は原野から国境越えて男がテキサスに入ってくる。ガソリンスタンドで氷を口にするなり気を失った男は病院に担ぎ込まれたが、口をきかず、身分証明書もない。彼は真っ赤な帽子をかぶっている。医者が1枚の名刺を頼りにかけた電話でロサンゼルスから飛んできたのは、男の弟ウォルトで、その男トラヴィスは、4年前に失踪して以来、死んだと思われていた。病院から逃げ出していた兄を高野で見つけるウォルト。トラヴィスは地平線のー点を目指して歩き続けている。ウォルトの顔は憶えていたが、4年前に何が起きたのか、この4年間どうしていたのか聞いても、記憶が結びつかないのか、トラヴィスは一言も口をきかず、飛行機に乗ることも拒む。車で旅を続けながら、さりげなく妻のジェーンの事、一人息子のハンターのことを話しても涙ぐむばかりで何も答えないトラヴィスが、ふと呟いたのは、パリ、テキサスと言う言葉だった。

途切れ途切れに記憶を取り戻すトラヴィスはウォルトに1枚の写真を示す。それが、パリ、テキサスで、自分がかつて通信販売で買った地所だと言うのだ。し。地所といっても、砂しかないテキサスの辺鄙な風景。だが、パリ、テキサスは、かつて母が父と初めて愛を交わしたところだとトラヴィスにそっと教えてくれた場所なのだった。トラヴィスにとって自分が生まれることになった、愛の原点なのだ。ロサンゼルスのウォルトの家には妻のアンヌと7歳になったハンターが待っていた。4年の間ウォルトとアンヌを両親として育ってきたハンターとトラヴィスの再開はぎこちなく、傷つきやすい。学校へ迎えに行っても、歩いて帰るなんて格好悪いとハンターに置いてきぼりにされるトラヴィス。そんなハンターをウォルトがたしなめて、本当のパパはトラヴィスだと言えば言うほど、寂しく辛くなるアンヌ。

トラヴィスの記憶が戻るようになればと5年前に撮った8ミリ映画が写し出される。ウォルト夫婦と、ハンターと自分とそして幸福そのものだったジェーンの姿を見て、必死に何かを堪えるトラヴィス。父親らしく盛装して学校に迎えに現れたトラヴィスに、嬉しくなって歩いて帰るハンター。その夜、アンヌはトラヴィスに、ジェーンがヒューストンの銀行から毎月ハンターの将来のためにわずかな送金を続けていると秘密を明かす。トラヴィスは中古のフォード・ランチェロ58を買い、学校に来てハンターに自分がジェーンを探しに行くと告げる。僕だってママに会いたいとそのままついていくハンター。ヒューストンの銀行から、ジェーンらしき赤い車を追って、不思議な建物にたどり着き、ハンターを待たせて中に入るトラヴィス。そこはキーホールクラブで、階下の個室は、客の側からだけブースの中の女の姿が見えるマジックミラーを施していたー種のピープ・ショーになっていた。

客が誰だか知らない彼女が現れる。声を抑えるまでもなく、懐かしさで涙にむせんでしまうトラヴィスだが、情けない思い、今でもあまりに彼女を愛しすぎていて激こうしてしまう自分が抑えられず、ブースの向こうにジェーンを置いて去る。ヒューストンを去って、途中の寂れた街で酒をあおり、ハンターに自分の母親のことを話しながら酔いつぶれるトラヴィス。翌日、ハンターの意思でもう一度彼女に会うことを決めたトラヴィスは、ハンターへの別れの言葉を残してキーホールクラブに戻る。ジェーンとの愛の全てを語るために…とがっつり説明するとこんな感じで、主人公の男と妻の女の、男と女の愛の物語であり、2人と息子ハンターとの、父と子の愛の物語であり、母と子の愛の物語である。舞台は実際に米国のテキサス州に実在する場所で、トラヴィスは、そこにいつか親子3人で住むことを夢見て買った小さな土地の、よれよれになった写真を体から離さず持って流離うのだ。


それにしてもアメリカでロケを完成させたヴィム・ヴェンダースの愛の旅の集大成がであることは間違いなくて見事にカンヌ国際映画祭で84年のパルムドールを受賞した。原風景のような荒野を記憶を失った旅から帰ってくる男のイメージを発端に、弟とロサンゼルスへの帰路をたどる前半で展開する、息を飲む美しさの映像空間がたまらない。そして後半部分は彼女との再会でいろいろな思いが蘇り、観客も同時に感動してしまう。なんとも涙を抑えられないエンディングまで加速するのだ。この映画って結構解明されない不思議な出来事があって、例えばなんで彼女は自分の息子を半ば捨てたような感じに人に預けてしまったのか…それに、あのいかがわしいお店で仕事をしながらトラヴィス以外の集まってくる男たちの手助けをするような仕事をなぜ選んだのか謎である。

しかしながらほぼラストで、ジェーンが言うセリフで色々とわかることもある。あえてネタバレになるため言わないが、この映画のクライマックスは、絶望と夢が混じりあったような終わり方である。それにしてもナスターシャ・キンスキーは、あのマジックミラー越しに会話をするシーンで、ひたすら自分の顔を見ながら、鏡の前で演技していたんだろうなって思うと凄いと思う。彼女も今思えば、13歳で映画初出演したのがヴェンダースの「まわり道」だったため、「パリ、テキサス」ではデビューからちょうど10年目だっただろう。しかも15作目での監督作品との再会になるとは偶然か必然か…。しかも彼女の場合、一作一作が他国の素晴らしい監督たちの映画に出ている。ドイツ、イタリア、フランス、イギリス、アメリカと言うような感じに素晴らしい映画に多く出演している。でも私個人彼女は1番美しく魅力的に写っているのが本作である。



いゃ〜、L・M・キット・カーソンとサム・シェパードの脚本がまず素晴らしい。そして本作は冒頭から非常に美しい荒野の自然が映し出され、ノスタルジックなメロディーとともに映される。Ry CooderのParis, Texasがなんとも切なさを心に染みさせる。この映画お兄さん(トラヴィス)がモーテルからいなくなっちゃって、路線を歩いてるところを取り戻しに来る弟が車に乗って再度モーテルに戻る時に夕立が降って、非常に車内から見える風景が幻想的で美しい場面があるんだけど、印象的で、そんでそのままレストランで食事をする場面で、トラヴィスに何が起こったかを弟が聞こうとするシーンに心を乱される美しいメロディーの音楽が流れて、スタントンの涙にこちらが泣いてしまうほど感動的である。なんてことないワンシーンなんだけど凄く好きだ。

そんでカーナビがなかった時代、地図を開いてパリに行こうとするトラヴィスが地図に指をかざすシーン、飛行機に乗って行こうとするが、途中で飛行機を降りてしまい一悶着がある場面、その後に車を探し、ドライブ…。ここで初めて弟はフランスのパリと勘違いしていたことを確認する。そんで家にたどり着いて、寝泊まりすることになって、ハンター(息子)の学校に送り迎えしに行こうとしてるんだけど、車じゃないと恥ずかしいらしく、シカトして友達の車に乗って帰ってしまう場面などはなんとも残酷である。そんで、夜の食事の時に、昔に撮った8ミリの映画を皆でプロジェクターを用意してみるんだけど、Ry CooderのCancion Mixtecaが流れるそのシーンはすごくノスタルジックで素晴らしい。そんで奇妙な格好して、トラヴィスが息子を迎えに行く場面で、道路を挟んで2人が面白おかしく同時進行していく場面も可愛らしい。ぎこちない当初の会話のやりとりのー種だ。

それにしてもウォルト役のディーン・ストックウェルはジョゼフ・ロージー監督の「緑色の髪の少年」の子役時代から見ていたが、ここまで渋くベテラン役者になっていて非常に驚く。同じく妻アンナ役のオーロール・クレマンはルイ・マル監督「のルシアンの青春」でデビューしていた女優でよく覚えている。それに彼女はエリセ監督の「エル・スール」にも出演している。バーでナスターシャが振り向くシーンがあるんだけどあの時の表情がたまらなく美しく、最高のカットだと思う。この映画個人的にすごいサプライズだったのが、冒頭のシーンの一瞬しか出てこなかった医者役が、あの俺の大好きな映画「橋」59年のドイツ映画の名監督ベルンハルト・ヴィッキだったことだ。

これには驚かされた。しかも子供のハンター役で大活躍した子役は、脚本家のL・M・キット・カースンと女優カレン・ブラックの息子で映画初出演である。音楽を担当したライ・クーダーは最高だった。ボーダーミュージックとボトルネックギターの第一人者であるクーダーに、監督は既に「ハメット」の時に音楽を頼もうと考えていたことがあったそうだ。本作で念願がついに叶ったと言うことだ。だから音楽を全てボトルネックギターだけで通すと言う大胆な提案をしたのだろう。それにしてもミステカ族のメキシコ民謡をアレンジしたテーマ曲を、冒頭のガソリンスタンドと8ミリ映画を見るシーン、そしてトラヴィスとジェーンの再会のシーのバックに流す構成はたまらない演出だと思う。まだ未見の方はお勧めする。
Jeffrey

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