追悼ハリー・ディーン・スタントン。
彼を初めてスクリーンで観たのが本作「パリ・テキサス」。
ナスターシャ・キンスキーの美しさ以上に背中の開いたモヘアのニットの手触りが掌に残っているかのよう。
ライ・クーダーのギターの音色。
弦を這い擦れるスライドバーの音に魅入られて輸入盤のサントラを買ったっけ。
ペーソスとかエレジーとかよく分かんない子供だったけど、そんなエモーショナルな何かをまだ空き容量の多かった脳に何メガバイトか刷り込まれた。
それから二度ほどビデオで見た。
ああ、こんなだったなと昔の写真を眺めるようだったと思う。
ようやくスクリーンでタイムカプセルを開けてみれば、思いもよらないちょっとした愛の詰め合わせが見れた。
物語が進むにつれ、トラビスがアルバムを捲りながら亡くなった父や母の栓ない話をするように、永遠に除かれることのないマジックミラー越しに自らを語るようには、自分の吐き出したい感情がクリアにはならず暫くこの映画を見る事は無いなと思ったし、必ず見たくなる時が来るとも思った。
赤は愛の証か、行き止まりのサインか。
テキサスの青い空、緑の明かり、黒い闇、そしてメッセージの強い赤。
余りに美しい映像と音像。
エンドロールと共に、何処からともなくブルースが、聞き取れないダミ声の唄を伴って聞こえてくるようだった。
なんだか格好の悪いレビューになってしまった。
2018劇場鑑賞78本目