otomisan

下町の太陽のotomisanのレビュー・感想・評価

下町の太陽(1963年製作の映画)
4.5
 若い倍賞が終始難しい顔を見せる。怒ってるとか悲しいとかいうのでもない。家族もご近所も友人たちも恋人もヘンな付き合いもあって、笑ってる事だって幾らでもあるが、あらゆるエピソードで大なり小なり割り切り難い事に気づいてしまい放ってはおけない。
 下町のスモッグの下から玉の輿ではないけれどサラリーマンと結婚して、日の当たる丘の上の団地に200倍を突破して入居出来たら、後は幸せ街道まっしぐら、なんてほんとうかな?
 下の弟は拾われっ子だなんてうそまでついて拗ねてる。父ちゃんと私で稼いでもおっつかっつのこの一家、戦中戦後を苦労の末に死んだ母ちゃんはありがとうと言い残したそうだけど、どんな思いでいったんだろう?上の弟はずっと独立独歩自助努力、大学を目指すけど顔さえ見せない。きっとひとりで大きくなったみたいに街を出ていくんだろう。
 路地裏は子どもと年寄りでいっぱい。いつもみんなで笑っているけど、ものが安いのが結構だなんて。些細な事にも鵜の目鷹の目でいじましいったらない。
 そんな中、タカシのじいちゃんだけが相変わらずタカシの心配を続けてる。とっくに死んだタカシだのに。みんななんとなく受け応えて引き留めもしない。それは病気のせいだし、ほかに何の生き甲斐がある?役に立たない交通整理に励んでいれば、きっと誰もタカシの事を忘れないだろうし、悲しくないだけましだろう。でも、夜更けになっても戻らないタカシの事がじいちゃんは悲しいんだ。
 通勤電車で見かける不良たち、弟の悪さを唆してる?でも会ってみると普通のまっすぐな屑鉄工員だった。遊び場の国鉄機関庫は蒸機のスクラップだらけ。スクラップで遊んでばかりで電機で生きる道を見落してないか?弟よ。事情は聞かなきゃわからないし、そと見と人当たりでは人は分からない。でもこっちもよそ見ばかりしてられない。
 あの人はライバルの失態で補欠から昇任して都心の本社行き。あんなに投げ遣りだったのが水を得たようだけど、打って変わって黙って僕に付いて来いだなんて、黙っているだけの私は、その将来は何だろう?
 高望みしても本当に幸せが叶うだろうか?今これらに目を瞑ったら明日の自分を危うくしてしまいそうな。だから、いつまでも笑ってすましてはいられない。
 ならばどうしよう?貧乏につける薬があるでなし、女の役割に固まった頭を柔らかくする体操があるでなし、ヤクザな話を抜きにしたって金を稼ぐ、稼げるようになる、そのためでさえいろんなことを代償にしないといけないらしい。
 あの人の繰り上げ昇任が決まって幸せの近道が開けたはずなのに、こんなだから素直には受け入れられない。未来だか将来だか知らないが、明るいと期待される事もどこか歪んで見えてしまう。あの人との事もそうだが、団地妻になった友人だってそうだ。
 金とか愛とかいうけれど、どちらも言葉が嘘っぽい。死ぬまで身近にある人の身近さに嫌気がささずに続くとしたらどんな人だろう?先の事まで分からないけれど今の事なら決まってるんじゃないか。それでも電炉の職場はリスクだらけ、一方石鹸会社の本社勤務に付いていけば日当たり最高のゴルフ未亡人。民のかまどが豊かな証拠だらけの下町で太陽を望むなら地上の太陽を探すしかないだろうけど。
otomisan

otomisan