緑青

やかまし村の子どもたちの緑青のレビュー・感想・評価

やかまし村の子どもたち(1986年製作の映画)
4.3
アストリッド・リンドグレーンの児童文学をもとに制作された映画。子どもの頃に心から憧れ、愛していた世界がここにある。スウェーデンの田舎の輝くような自然の美しさと、子どもたちの生き生きとした毎日と、温かな音楽と、思い出と、その何もかもが詰まっていた。子ども時代のひと夏の輝きは、何にも代え難いものがある。

原作のやかまし村シリーズは3作あって、「子どもたち」はこの物語の舞台であるスウェーデンの小さな村での夏休みが描かれた作品だ。まずそこから最高である。いわゆる「終業式の日」が物語の始まり、「新学期の朝」が物語の終わりなのだ。たったそれだけでも様々な感情が思い起こされてしまう。夏休み、という響きがすでに、途方もないノスタルジーを秘めている。

主人公の設定も本当に子ども心をくすぐってくる。家が三軒しかない(!)小さな村で、同年代の子どもが6人、一緒に夢中になって毎日を生きる。本当に本当に理想的な夏休みなのだ。釣りをしたり、窓を通じて手紙を交換しあったり、雪解け水の溢れる畑で海賊ごっこをしたり、夜中に抜け出して肝試しをしたり、町へお使いに行ったり、歌を作ったり、冗談をひたすら言い合ったり、猫を拾ったり、犬を預かったり、宝探しをしたり、収穫祭があったり、花を摘んで枕の下に敷いて寝たり、納屋に泊まったり、大人も含めた村のみんなで湖でキャンプをしたりして、ただただ目一杯、夏を楽しんでいく。それだけといえばそれだけなのに、どうしてこんなにも胸を打たれるのだろう。

もうひとつこの映画で好きなところが、この村の女の子たち(リサとブリッタとアンナ)がそれぞれ、この村の男の子たち(オッレとラッセとボッセ)と結婚することを決めている、と語るシーンだ。子どもの頃は「確かにそれなら引っ越さなくていいし、この村にみんなでずっと一緒にいられるし、全部うまくいくじゃん」とリサと同じことを思っていた。今、このセリフはなんとも言えず切ない。きっとその願いは叶わないからだ。
彼女たちが大人になったときには、色々な状況が様変わりしていることだろう。子どもの頃の将来の約束がほとんど叶わないのだということを私は知ってしまった。あの子ども達のうちのだれかが街に出るかもしれないし、外へ嫁ぐかもしれないし、病気で死ぬかもしれないし、戦争で散り散りになるかもしれないし、自然環境の変化で引っ越さざるを得ないかもしれない。人生は何が起こるかわからない。きっとその将来は思うままにはならないだろうなと悟ってしまうからこそ、あのシーンは切ないし、同時に甘やかな憧れがある。そんな風に無邪気に未来を信じていられるのが子どもの本当の美しさだと思う。その一瞬のきらめき、たった一夏の鮮やかな永遠、だからこその尊さ。しかし同時に、もしかしたらこの村ではいまもこんな風に子どもたちが全生命で夏を謳歌しているかもしれないな、と思ったりもする。拍子抜けするほど変わらない光景が当たり前みたいに広がって、きらきらと、笑って生きているみんながいたなら、それって最高に幸せなことに思える。変わらないでいられることの、途方もない有り難さよ。

つらつらと言葉を尽くしてきたけれども、とにかくとにかくこの映画が好きだ。映画というか、世界が好き。心のふるさとみたいなものである。誰になんと言われても、好きなものは仕方がない。日々に疲れてしまったら、何も考えずに淡々と観て、よく眠りたいなあと思う作品です。お暇な時に。
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