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第三の男のマコのレビュー・感想・評価

第三の男(1949年製作の映画)
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エビスのせいで映画に集中できなかった感がある。見たのは淀川長治監修『世界クラシック映画100選集』。淀川さん、最初の解説でオチ言っちゃうのやめてくれ!

この映画は男性登場人物の子供っぽさが際立っていたように思います。
「周りの人が、彼をあんなふうにしたのよ」という恋人アンナのセリフが出てきますが、このセリフに説得力を感じるのはオーソン・ウェルズの童顔ゆえのことだと思います。ハリーは途中まで死んだと見せかけているのですが、主人公を尾行していたらうっかり見つかってしまいます。この行動はまさしく、自分が死んだ後の周りの人の反応が見たい!というおこちゃま発想から出たものではありませんか!主人公と男二人のドキドキ観覧車デートのシーンでも、「女なんかどうなったっていいのさ」なんて(童顔のくせに)言っちゃって、全力でワルになろうとしてます感がプンプンするのであります。
また、主人公のホリーにしても、でもでも、とかだってだって、とか言ってとっとと帰りゃいいのにいつまでもグダグダ残って少佐のお仕事を邪魔するのであります。そもそもこの人は金がなくて友人を頼ってウィーンに来たはずです。他人のこと気にしてないで自分のことを気にしろよ、と思ってしまうわけであります。ハリーの恋人だったアンナへの態度も、何の役にもたってないのに、(直接のセリフはないけど)「君のために~」感を醸し出しやがってやたらと彼女の周りをうろちょろするのであります。一緒にアメリカに行こうよとも、君が好きだともハッキリ言わずに相手の気を引こうとする童貞感といったら・・・しかもそれがラストシーンでもそうなんだから。。

そういうわけで、ラストシーンでアンナが主人公に目もくれずに去っていくのはごくごくあたりまえのことなのであります。
あたりまえのことを当たり前にしているだけなのに、それがわからないおこちゃまボーイたちはクールなラストだったぜ・・・とか言ってわかったつもりになっているのであります。

なんでこんな辛口感想になってしまったのか・・・
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