yoshi

プレッジのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

プレッジ(2001年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

仕事で契約を遂行出来なかった時、又は家族との約束を反故にした時、物凄い後悔と謝罪の念に襲われたことはありませんか?
それは責任を自分の中に問うからです。
人が他人の為に行動する原理は、強い愛か使命感から来るものだと思っています。
しかしそれらが同時に破壊された時、人はどうなるのでしょう?

この映画はそんな想いを遂げられない刑事のとても悲しい映画です。

解決しない事件と回収されない伏線。
役者としても尊敬するショーン・ペン監督作品3作目です。

この映画さタイトルの和訳からわかるように、この物語は定年退職の日を迎えた刑事ジェリー(ジャック・ニコルソン)が、その日に殺された少女の母親との「約束」と十字架への「誓い」から始まります。

定年を迎えるにも関わらず、無責任にも軽々しく簡単に約束と誓いをしてしまう。

最初は軽い気持ちだったのでしょう。
後輩たちが事件を解決してくれると…。

呑気に釣りに出かけ、時間を忘れる為に腕時計を外すあたり、真剣味は感じられない。

後輩たちが捕まえた犯人が、誤認逮捕であると確信してからは「若い者には任せておけない。」と本腰を入れて、ジェリーは情報収集にあたります。

それは約束したからというよりは、誓いを立てたからには果たさなければならないという使命感に突き動かされるかのようです。

引退したとはいえ、刑事としての、職業人としての「やりがい」=「生きがい」が再びジェリーに生まれたという方が分かりやすいかもしれません。

長年仕事一筋で、妻子の影もない寂しい男。
(ジェリーの家族が語られていないことと、精神科医が「最近セックスは?」としつこくジェリーに尋ねるあたり、ジェリーは孤独な老人と読み取れます。)

独り者で定年退職。時間もあり、ある程度お金もある。

(おそらく退職金を注ぎ込んで)犯人の行動範囲にあるガソリンスタンドを買い取ります。
これは老後の生活の為に見えますが、そうでしょうか?
私には不審者=犯人を特定すべく、購入したとしか思えない…。

殺された少女の残した絵を手掛かりを掴んだジェリー。しかし警察は捜査打ち切りを宣告します。
ますます孤独になるが、捜査を続けるジェリー。犯人の特徴と車種に近い人物はいないか、睨みを利かせてひたすら待つジェリー。
気の遠くなる思いがします…。

バツイチ女性ロリと娘のクリッシーとの交流がジェリーの孤独を埋めてくれると思いきや…。

ジェリーはクリッシーの為と言いながら、ブランコを通りに面した所に設置。

明らかに幼いクリッシーを囮にしようとしているのです!

クリッシーに近づく男の中に、神父であり道路整備の仕事をしている男がいました。
彼は真犯人でありません。

母親役の女優さんが違いますし、犯人というには土地での知名度が高い。

しかし、クリッシーに近づく背の高い男は全員怪しいとジェリーは観察しているのです。

本当の犯人がこの神父と錯覚して、真犯人がわからなくなった人もいると思います。

(犯人は決して画面に顔を出しませんが、母親が名前を呼ぶシーンで、オリバーという名前だけは分かります。)

ジェリーは真犯人を定年後の生きる目的として追い求めていきます。
これなら犯人は必ず来る。逮捕に至ると確信する方法に出ます。

それはたった一人でクリッシーを河原で遊ばせて犯人を惹きつける囮とする危険な賭け。

犯人は必ず来る!根拠は長年の刑事の勘。

しかし、実際に真犯人は現れなかった…。

犯人はヤマアラシの飾りを付けた黒い車に乗り、ラストで交通事故を起こして黒こげに焼け死んでしまうのです。

なんということでしょう!
犯人が現れないことが、ジェリーを苦しめるのです。

犯罪は起こらず、クリッシーが無事であるのにも関わらず…。

私はこのラストに、ショーン・ペン監督が描きたかったであろうテーマに2つの解釈が浮かびました。

一つ目は「喪失感」

犯人が現れないことがおかしいと主張するジェリー。自分の推理に絶対なる自信があったからです。

待機していた元同僚から「狂っている」とジェリーを揶揄します。
真犯人が現れていれば、その自身を失うことはなかったでしょう。
そしてジェリー自身が自分の推理=自分自身を信じられなくなってしまいます。

結果として、犯人は死に、彼の推理が正しかったという証拠はどこにも無いのです!

真犯人が死んでいるというのをジェリーは知らないまま…なのが悲しい!

しかもクリッシーを囮にしたことが、ジェリーが心を通わせていたはずの母親ロリにバレてしまい、人間としての信用も失ってしまいます。

同僚の信頼、
実在した真犯人の存在、
確信していた推理という自分自身、
そして愛する人、
ジェリーは4つを同時に失うのです。

それでも自分の推理を信じ、「ヤツは来る」と何とか自我を保とうとするジェリーが哀れです。

ジャック・ニコルソンの狂気の名演です。
年齢的にも重度の認知症にさえ見えます。

もしあの場に犯人が現れていたなら…。
やるせなく、歯がゆい気持ちになります。

もう一つは「天罰」です。
この作品の監督の視点は、神の視点だったと言ってもいい。

面倒くさい司法上のプロセスなども割愛するかのように炎上事故死を遂げる犯人。

愛情を犠牲にしてまで、犯人逮捕という誓いを建前にした自身のワガママに執念を燃やす主人公。

仮に執念の結実である犯人の存在を同僚らに知らしめることができたとしても、クリッシーを囮にしていた事実が明るみに出て、ロリの愛を失うのは時間の問題だったはず。

犯人にも、ジェリーにも下る天罰。
冒頭、無残に殺された少女の母親との「約束」と十字架への「誓い」が呪縛となったのか?

努力は美しい。正義へと向かう行為は素晴らしい結末へつながる…
というハリウッド的な思考を完全否定するエンディングは、人間の愚かさを否定する神の視点と言ってもいい。


劇場での初見当時は、淡々とした展開でオチも決まらない中途半端なサスペンスという印象でした。
でも、心のどこかにずっと引っかかっていました。

人生経験もそれなりに積んでから、再度観賞すると、人生というものを鋭く描いた生涯忘れられない作品となります。

いかに正しい目的のためであっても、いくら愚直に頑張っても報われないことが実人生ではある。
そしてその努力が裏目に出ることだってある。
情け容赦のない、現実味のある物語です。

ジェリーにとって、あまりに悲惨な結末は避けられなかったのか?

一人の男の執念が自滅を呼ぶ残酷なエンディングは、これまで見たハリウッド映画にはありません。

何とも悲しい物語です。
3回観て、私はこの結論に達しました。
「分からない!」と言うレビューも多いですが、私は擁護します!

ジェリーの歳になったら、また観ると思います。

ショーン・ペン監督作品に現れる人生観には、いつも驚かされるばかりです。
この作品に多くのスターがカメオ出演しているのも、彼の才能と人望が成せる業だと思います。
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