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当りや大将のotomisanのレビュー・感想・評価

当りや大将(1962年製作の映画)
4.0
 因果なこっちゃ。釜みたいな土地にいて、生きとるモンは皆ウソつきじゃと料簡せんかったおばはんが真っ当すぎたようだ。だましてチビの帝大資金を着服横領して、おばはんの8年間、18万をいっぺんに使ってしまう料簡が、釜で生きるモンならではというなら、死んだおばはんの声が頭から離れんのんはどうした事か?
 しびとはウソを言わない。その声が聞こえるとは、聞こえる者だけに真の事を迫るという事で、だから、この死人の声がこびりつくゆう事が生きてるものをジリジリさせるわけだ。
 道徳だか倫理だかこころが未調整なまま暮らしてる者でも、相手の「死」ばかりは動揺させられる。おばはんの死以来ひとが変わった大将が、なんでいきなりブランコじゃ言い出すかとみんな思うだろうが、おばはんの死の真相を知ったらどうなるだろう?
 四国巡礼で逆さ参りを何回りでもする人がいて、お大師様に必ず会って重ねた旧悪とお大師さんの恩に詫びを入れないと死ぬに死ねないなんて事で、と聞く。ブランコつくりをどうでも諦めない大将もそんなもんだろう。ブランコつくるのとチビが帝大に行くのと引き合ってるのかどうかさっぱり分からんが、大将はそのつもりか?なんにせよチビの学資保険の返戻金が底をつけば資金調達は当たり屋一本、その再開第一号で大当たりの即死とくれば、もうエゝよとおばはんも勘弁してくれたのかも知れない。
 さあ、この後は新仏に大将まで加えてしまい、街のモンとキリストはんは、おばはんと大将のデュオの「雪のふる街に」が頭にこびりつくんだろうか?あのブランコを見るたび二人の声に悩まされるんだろうか。そのせいで広場が子どもたちのものになったら、あおぞらカジノも絶えて街も変わるんだろうか。
 あのチビがおっかさんの帝大生の夢を覚えていて生きてくかどうか、賭場の喧嘩で死ぬか、悪い酒と薬で死ぬか知れないが、生きていければ「大将のブランコ」は忘れまい。そして、大将ほどの悪業を積む前までは二人の「雪のふる」を恐れずに生きて行けそうな気がする。
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