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ファイト・クラブのheroheroのネタバレレビュー・内容・結末

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

いつか観なければと思いつつ先延ばしをしてたのだが、ついに鑑賞。
まず、オープニングから患者と偽りカウンセリングの集いに主人公が参加するところまでは「なんて面白いんだろう」とワクワクしてきたのだが、タイラーが登場してきてから、ボクの期待感はドンドン萎んでいった。
理由は、あの殴り合いだ。
生きている事を実感するという心の癒しの為だとしたら、あそこまで徹底的に殴り合う事が理解出来ないのだ。
いや、グローブを嵌めて通常のボクシングのように殴り合うなら理解出来るのだが、素手で本気で殴り合う事が理解出来なかったと言うべきか。
そもそも、人は素手で本気に顔面を殴り合えば、殴られた方はガードしなければ確実に大怪我をする。
鼻骨は折れるし、顎の骨だって外れるだけでは済まない。マウスピースもしてないので、歯も簡単に折れる。
眼窩底骨折もしやすい。当然視力低下の危険も少なくない。
殴る方も拳を痛めるし、骨折だってあり得る。
痛みによって、心に癒やしを得る代償としては、リスクが大き過ぎるのだ。
もちろん、手加減すれば回避可能だが、本作では明らかに全力で殴ってるように見えるし、大怪我しない程度に手加減するという「陰のルール」が存在してる気配も無い。
血しぶきも飛ばす表現からも、全力での殴り合いを描いているはずだ。
なのに、殴り合ったその後は、皆ケロリとしてる。
ちょっとしたアザや擦り傷程度の表現だ。しかも割と直ぐ治る。
終盤近くで、主人公からメンバーの一人が徹底的に殴られるシーンがあるが、さすがにこれは殺しちゃうのかと思ったら、これも後日片目こそ腫れてたもののピンピンしていた。
実にリアリティが無い。
こういう部分が、嘘臭く見えてしまい萎えるのだ。
通常のアクション映画でも、殴り合うシーンはあるのだが、こちらはリアルさは気にならない。
何故なら、殴る事にそれ程の重要な意味合いが、含まれていないからだ。
だが、本作では本気で殴り合う事に大きな意味を持たせてしまっているので、ボクは大いに気になるのだ。
終盤、主人公とタイラーの意外な関係性が明らかになる辺りからの展開が面白いだけに、ボクには「本気の殴り合い」部分が、どうにか出来なかったのかと惜しまれてしまう。
ところで、ファイト・クラブはどのようにしてメンバーを増やしていったのだろう。
タイラーは実在しないのだから、主人公とタイラーの殴り合いを他人に見せて、興味を持たせるという手法は使えない。
主人公が自分自身を殴ってる様を見られたとしても、気味悪がられるだけだ。
クラブの存在は公にしたくないのだから、勧誘ポスターやビラもダメだ。
となれば、主人公が人生に不満を持ってそうな人間へ「オレと殴り合おう、スカッとするぜ」と勧誘するしかない。
でも、それって上手くいくのだろうか。
物語中でも「他人へケンカをふっかけて負ける」という事すら難しいのに。
その点も、ボクにとってはイマイチ満足出来ない原因の一つなのだ。
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