マヒロ

モダン・タイムスのマヒロのレビュー・感想・評価

モダン・タイムス(1936年製作の映画)
4.0
極貧で超不器用な労働者のチャップリンは、失敗続きで職を転々としていたが、そんな中出会った同じ境遇にいる浮浪者の女性と共に暮らすようになり……というお話。

序盤の工場のシーンでは、初っ端家畜の映像とオーバーラップする労働者の集団という強烈な描写から始まり、完全に監視された状況で何も考えずに機械の奴隷となって動き続ける人々が描かれるなど、消費社会をだいぶ直接的に皮肉っている。普通に観ているとチャップリンがアホなことやり通しているだけなので気付きにくいけど、観終わってふと考えてみるとその風刺に気がつくようなつくりが上手いし、コメディの本質ってやっぱりこういう社会に対する批判をマイルドに分かりやすく伝えられるところにあるなと思った。
故障した自動給食マシーンにボコボコにされたり、単純作業の連続でいよいよ気が触れて大暴れするチャップリンの姿は、まさにスラップスティックの極みという感じ。有名な歯車のシーンもここで出てくるけど、意外とサラッと流されるだけだったのでちょっと驚き。

ただそういう批評性だけでなく、一番刺さるのはチャップリンと少女のお互いがお互いを尊重し大事に思い合うその関係性で、あまりにも純粋で愛らしい二人に気恥ずかしさすら感じるレベルなんだけど、そのピュアさに心洗われる。閉店後のデパートでの戯れや手を繋いで道の向こうへ去っていく後ろ姿など、貧乏で社会は冷たくて未来が暗く見えても笑って生きれば何とかなるさ、という機械文明・消費社会の中で必死に生きる二人を通して描かれる真っ直ぐな人間讃歌で、強烈な風刺と相反する暖かい目線が同居している不思議な映画でもある。

チャップリン映画を観るのは『独裁者』以来2作目なんだけど、コメディとして笑える部分も残しつつメッセージ性もはっきりとこちらに伝わるような形で持ち合わされていて、同じサイレント期のスターであるバスター・キートンの凄まじい身体性でアクションを見せまくってエンタメに徹する姿勢とは、同じコメディでも全く違ったスタンスでやってるんだなと思った。どちらも好きだけど、キートンがトーキーへ移行してからあまり目立って活躍出来なくなってしまったのは、このメッセージ性の有無が大きかったのかな……とか思ったり。

(2019.157)
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