もっちゃん

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーのもっちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

「虚構」と「現実」が絡み合う。「時間」と「空間」が複雑に交錯するビジュアルは魅了されるものがある。そこは果たしてユートピアか、ディストピアか。

学園祭前日が永遠にループする。みんなが一つになれる時間と空間が約束されているのは「イベントの準備期間」に限定されるのかもしれない。いざ始まってしまうとあとは終わりがあるのみである。「始まる前」という特殊な空間は物語設定として最良である。

光と影を基調とした背景はいつもの「うる星やつら」とはどこか違った雰囲気を出すことに一役買っている。車・電車のライト、水たまりの反射光、閑散とした街並み・廃墟は皆「押井ワールド」の重要なモチーフである。

「浦島太郎」と「胡蝶の夢」をストーリーの下敷きにしている今作。「もし浦島以外の全員も竜宮城に行ったら、果たして何十年後の世界だと気づくのだろうか」という疑問が通底している。「時間とは人間が客観的に決めたものでしかなく~」というセリフは「時間の破棄」というテーマに挑戦していることを表す。永遠に食料が尽きないコンビニはそれらのメタファーとなる。
そして「胡蝶の夢」。「夢の中で蝶として舞っている」と思っている人間は、もしかしたらその蝶の夢の中にあるのかもしれない。これが夢であるとしたら、本当の現実はいかなるものか。そこに幸せはあるのか。

そこにユートピア・ディストピア思想が存在する。あたるは夢の中でラムちゃんに邪魔されず、女を手に入れることができる。そこははたから見ればユートピアである。だが、あたるは最終的に現実世界に帰ることを望む。いやなこともたくさんあり、学園祭もいつかは終わってしまう現実に。
だが、戻ってきたはずの現実世界が「本当の現実」であるという保証はない。そして、観客自身も今生きている世界が現実のものであるとは限らない。不思議な入れ子構造が働き、物語は永遠にループする。