レインウォッチャー

ローズマリーの赤ちゃんのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ローズマリーの赤ちゃん(1968年製作の映画)
4.5
這い寄り系ホラー…なるジャンルがあるとしたら、今作の打ち立てた壁はあまりにも高い。

直接的なショックシーンや超常的な何かの描写は最小限。しかしこの、じりじりと扉の隙間から避けがたい冷気が忍び寄り、気付いた時には指先が腐り、ついには心臓が凍りつくような恐怖。
半世紀以上を経てなお、今作の「赤ちゃん」あるいは孫…は生まれ続けている。一方で、今作と同じくらい哀愁や美しさといった要素をバランスよく同居させた作品は稀だ。

NYのクラシックな高級アパートに夫と越してきた新妻、ローズマリー(M・ファロー)。やがて彼女は子供を授かるが、隣人が悪魔教の手先なのではないか…という疑念に取り憑かれていく。

この映画、最後の最後まで本当に「どっちか」わからない。
何度か観ているのにおかしな話だけれど、毎回そう思うのだから仕方ない。それは、ローズマリーが追い込まれる恐怖が単なるオカルトのそれではない普遍的なものとして丁寧に積み上げられているからだ。

妊娠に伴う心身の変化への戸惑い。家庭という密室に分断、隔離される孤独感。夫という最も身近な存在こそ、時に最もわからない存在になり得る揺らぎや諦め。そして、もはや自分の意思とは無関係に身体の中で異物(他者)が育っていく不安。
今作の「悪魔」はそういった感情を具象化するものとして機能していて、だからこそ結末がどっちであっても、「悪魔はいるかも」と思わせてくれる。

「幻想に追い詰められる女」という枠でいえば、R・ポランスキー監督はこの数年前にも大傑作『反撥』を作っている。こちらの主演はカトリーヌ・ドヌーヴ、そのお人形さんらしい箱入り感だったり、アパートの一室というシチュ(細く閉塞感があり、不吉なものへ続く廊下は今作でも多用される)はほとんど今作の雛形といえると思う。
しかし単なる焼き増しに終わっていないのは流石で、随所に見られるアップデートが今作をいっそう魅力的にしている。

まずはやはり、色彩の活用。ローズマリーのテーマカラーはパステルイエローだ。彼女が選ぶ服装や内装、そして髪色ともマッチして、「純朴」というイメージを一層強める。
そこに差し込まれてくるのはビビッドな赤で、これは明確に悪魔的なものを予言している。たとえば、この物語にとって決定的な夜、夫が彼女に「子供を作ろう」と誘うため用意したのは紅い薔薇の花。これは単なる気障を超えて、彼女がタンポポ畑のように整えた部屋の中で実に禍々しい存在感を放っている。

次に、今作はある女性の成長期として完成されているということ。
上でローズマリーを「純朴」と書いたけれど、裏を返せば子供っぽく未成熟ともいえる。序盤の彼女は特にそうだ(夫との微妙な会話のズレや、髪型のアレンジを見て欲しい)。
劇中ではっきりとは語られないが実家(両親)とはあまり折り合いが良くなく、幼少期にはカトリック教育の抑圧の影響がうかがえる。彼女は少女時代を昇華しきれないまま大人になった人なのではないだろうか。

そんな彼女が、我が子を守るのは自分しかいない!という(ある意味ベタな)環境の中で明らかに羽化を遂げる。
髪を切ったのは彼女の意思だし、後半ついにアパートを飛び出しての孤軍奮闘、そしてラストカットで見せる忘れ得ぬ表情へと。そこにはポランスキーらしいちょっとした女性への女神願望(『テス』とかでも思ったところ)が窺えもするのだけれど、映画として綺麗なカーブで着地した満足感が高い。

幻想の中に沈み込む『反撥』、リアルで戦う『ローズマリー』。
どちらの方針でも極値を叩き出したポランスキーに、いまだ敵う作品などとてもとても…

…ぐはっ!

き、貴様は…『ヘレディタリー』…。(ぱたり)