くわばらやすなり

ジュラシック・パークのくわばらやすなりのレビュー・感想・評価

ジュラシック・パーク(1993年製作の映画)
5.0
本作品は私が小学一年生の頃に初めて鑑賞した洋画であり、自分の中で不動のオールタイムベスト映画であり、監督のスティーブン・スピルバーグ氏は初めて名前を覚えた映画監督であります。それくらい、私の映画体験の土台となる記録的な唯一無二の代物なのです。
『ジュラシック・パーク』が映画史を塗り替えたのは言うまでもなく当時最先端のCGとアニマトロニクスを併用して表現された恐竜達であるわけですが、本作品が伝説となるために絶妙な構成のバランスがあります。つまり初めてブラキオサウルスの全身が写し出され、リチャード・アッテンボローの「Welcome to Jurrasic Park.」という台詞と共に観客の私達は『ジュラシック・パーク』へ“入園”するのです。
ここに至るまでのお膳立ては丁寧過ぎるといってもよく、それまで恐竜はなかなか出てきません。オープニングはラプトルを輸送するコンテナですが、この時点で恐竜は声と顔のごく一部での出演となります。ここを起点として工事作業現場、化石採掘場など人工的な場所→自然と人工物の調和した滝~ゲート→大草原と場所を移動させ、サム・ニールの愕然とした表情を見せられて初めてブラキオサウルスの姿が現れるのです。さらに視線を移すと一匹だけではない、群れの恐竜達が自然と調和して暮らしている。これを見せられて観客はどう思うでしょうか。まるで自分が時間を逆流してジュラ紀の地球に来てしまったかのよう。それは登場人物も同じです。もう溜め息の出るほど完璧な風呂敷の広げかた。
しかし本作はそういった古代生物の神秘やロマンを浴びるように見せてくれながら、自然を無責任にコントロールしようとする人間の傲慢さを暴き出し、遂に手懐けられなかった恐竜達が人間に牙を剥く恐ろしさをスピルバーグ印の上質サスペンスで叩き付けて、愉快な反面とても怖い映画でもあるのです。前述のオープニングで一人の作業員が中にいたラプトルに引き摺られ餌食にされるのを、不安を駆り立てる音響とショットで見せつけられます。雨の降る夜、パークのツアー中に事故で車が停止してしまい、それがT-REXのエリア。パークの管理人の策略により恐竜と人間を隔てる電流柵は意味を為さず、遂にティラノサウルスが車の前に躍り出てしまう。ここから映画史に残る恐怖の場面が展開され、あろうことかT-REXは子供達のいる車に向かっていきます...スピルバーグ作品では基本的に子供に容赦しないんですね。徹底的に弱肉強食の暴力を突き付けられる厭なシーンがこれから連発していきます。また、本作の特徴として追走劇のサスペンスで“追う者”と“追われる者”が1つの画面にいるショットが印象的です。白眉はラプトルと子供達のキッチンでの攻防戦。部屋に入る前から物凄い恐怖演出をしてくる、それだけで冷や冷やするのに、2体。ラプトルと子供の物理的距離は近いので、見つかった時点で終わりという緊迫感。これを俯瞰で見ることでお互いがどれくらい主導権を握っているのか分からないサスペンスを作り出すことに成功しています。
ロマンと恐怖溢れる遊園地をサバイバルしていく中で、所謂“こどもおとな”である主人公が年長者として子供達を守る義務が発生し、その中で成長していくプロット。これはスピルバーグ氏の人生の変化に伴うフィルモグラフィーの遍歴とシンクロすることでエモさが爆発するのですが、この辺は町山さんが映画塾で詳しく語ってくれてるので省略します。私が言いたいのは、ここにこそ映画史上最高の遊園地体験があるということです。