ホラーからアクションへ。リドリー・スコットの『エイリアン』へ尊敬の意を表しつつ、キャメロンはそれを自分の映画へとつくりかえた。
リプリーの「闘う女性」像はさらに強化。銃火器や装甲車を扱ってのけるリプリー、もはやタンクトップとパンティだけになっても全くエロくない。そして、そんなリプリーの原動力となるのが、愛する我が子(の分身)をひとりで守っていかなければならないという母性的な想いであり、キャメロンの持つこうした女性観はそのまま『T2』のサラ・コナーへと継承される。(『ターミネーター ニューフェイト』では、その女性観が覆される。)
一方、エイリアンたちも一層強化される。『Ariens』という原題の通り、女王バチを思わせるエイリアンクイーンとそれが携える無数のオスたちが本作の敵となる。
エイリアンクイーンは、自分の卵を守ろうとする点で実はリプリーと似た存在であるが、たくさんのオスを従えて、子孫を繁栄させようとしているところが決定的に異なる。いわば生物学的な女性の役割のためだけに生きている存在だ。そんな邪悪な母性エイリアンクイーンをリプリーが卵もろとも焼き尽くすところにカタルシスが生じている。
正直本作は、途中まで結構ゴチャゴチャしており、『エイリアン』のスマートさには及ばない気もするのだが、ラスト30分はだいぶ乗れた。人造人間には新しい立ち位置を与えつつ、エイリアンとの決着は前作を継承。エイリアンよりもさらに上の恐怖=宇宙空間へと吹き飛ばす決着だ。
そして、クライマックスにいよいよお目見えとなる、ウェアラブルマシンを装着したリプリーは、『バリー・リンドン』の決闘に並ぶコメディであった。