拘泥

サンタ・サングレ/聖なる血の拘泥のネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

せっかく素晴らしく美しい映画を見たのに言葉がドバーッと湧き上がってこないのはガリガリガリガリとクソ浪人生活のせいかそもそも前からそんな時期なんかなくて最初から不感症クソ野郎に過ぎなかったか知らんが大変切ないことで便器に座りながら便秘気味のクソとともに言葉をひり出している。

彼の映画にしては大変分かりやすく話が進行し、他の彼の作品群に比べて随分と繊細で美しく、象徴の描き方はより幻想的寓話的に思える。それでいて本人も言ってたけど彼らしくある。「彼らしい映画」などと言ってしまうのは本人も言ってた通り不敬なことだけども。まあとにかく、この映画は「商業を意識した」らしいが、特に例に漏れず紛れもなく彼の芸術品である。

彼の描くエディプスギンギンどころじゃない物理的過剰な抑圧という家族像は彼の過去に根ざすものである。その実の過去の自己救済がリアリティのダンスでありまたエンドレスポエトリーであり、或いは彼の作品の全てだ。そしてこのサンタサングレにはその一端を強く分かりやすく感じることができる。
母性父性女性男性を明確に分けながら、その垣根をぼやかす様に配置される女性的男性の魅力は素晴らしく、そして純粋の魂のなんと美しいことか。そんなかわいいこともないこの子は何故こんなに美しいんだ。この浮遊感はなんなのだ。
ラストシークエンスにおけるつけ爪を外すアルマという単に1つ1つの動きが圧倒的に魅力溢れるシーンでの母の踏破と男性と自分の獲得。この時点ではホドロフスキーが選んだのは、両親を踏み越えることだった。アルマが消えないことの喜び。そして「手を上げろ。」
曲も相まってその美しさったらない。
何だかエモーショナルに僕達に語りかけてくれるホドロフスキー。ええもう、好きです。
あと象の葬式のくだり、演技じゃないって、アレはすごい。
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