湯っ子

友だちのうちはどこ?の湯っ子のネタバレレビュー・内容・結末

友だちのうちはどこ?(1987年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

友だちのノートを間違えて持って帰ってしまった!さあ大変。今日中に届けなきゃ!

大人はみーんな自分の言いたいことばっかり言って、だーれもアハマッドの言うことを聞いてくれない。おんなじ言葉を話しているはずなのに、通じない。言葉っていう音は、それだけじゃ役に立たないのかもしれない。何かを伝えよう、それを受け取ろうという意思なしには。

冒頭に出てくる先生はヒドいな。友達があんだけいじめられてるのを見たら(あれは「叱る」じゃないよね)、そりゃあビビるよ、8歳だもん。
だけど、多分あと1、2年もすれば子供たちもそう怖がらなくなる。あんだけうるさく言っといて、最後、生徒の名前も覚えてないんだもん。
指導力のない先生が脅しで指導しても、子供がその場をやり過ごすことを覚えるだけじゃないかな。
(追記:名前を覚えてないんじゃなくて、わざと聞いただけかも、と思い直した。でも、筆跡同じじゃん!とか気がつかないから、やっぱりダメな先生だと思う)

お母さんも、道であったおじさんもおばさんも、自分の言いたいことばっかり。
お母さん、宿題やれって言ったそばからあれ手伝えこれ手伝えって、どっちなん?
だけど、大人たちも生きていくのに食べていくのに精一杯な感じもわかる。ドアを作るおじさんのしつこさったらなかったね。でもそれも、一家を食べさせるためなのかなぁ。
とにかくノートを届けなきゃ、の思いで山を登ったり降りたりのアハマッド。ヒマを持て余している、血縁のおじいちゃんがからんてくるのにもイラッとする〜。おじいちゃんなりのしつけ法について語っているけど、全てがヒマつぶしにしか見えない。

道ゆく人々に、友達の家を尋ねて歩くアハマッド。オンナコドモはまだ会話が成り立つが、オトコどものこの言葉の通じなさはどうだ。会話が全く成り立たない。

あたりは暗くなってきた。心細いアハマッドに、やっと親切にしてくれるおじいさんがあらわれる。友達の家を案内してくれたのは、話し相手がほしかったのかも。だから、話し始めると止まらないし、一緒に歩くには動きが遅すぎたね。

結局、ノートは友達に渡せなかった。おっかないお母さんだけど、夕飯はてんこ盛りにしてくれる。ノートが渡せなかったショックで食べられないけど。宿題がまだ終わってないと聞いて、奥でやりなさいよ、って、頭を軽くなでて、夜食を置いていく。これだけのことで、厳しい生活なりにこの子が大切にされていることがわかってホッとする。

ノートは渡せなかったけど、アハメッドは考えて、それを実行した。そして、友だちは先生に叱られずにすんだ。相手が、おっかないけどアホな先生でよかったね。話の長いおじいさんにもらった花も笑っていたね。
湯っ子

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