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いちご白書のgogotakechangのレビュー・感想・評価

いちご白書(1970年製作の映画)
4.6
まだ中学生だったの頃のこと。

地元の名画座に『小さな恋のメロディ』と『いちご白書』の2本立てが掛かった。

『小さな恋のメロディ』はストレートに面白かったのだが、併映の『いちご白書』の扱いに困った。とにかく何もかもが咀嚼できない。

学生運動もケネディ兄弟暗殺 もべトナム戦争も、海の向こうの事実として知ってはいたが、それが何を意味し、どうなって行ったのか、ナゼそうなったのか、そして当然ながら恋とは何なのかも含め、まるでわからなかった。
キムダービー の可愛いさと、全編を彩る音楽だけがやけに耳に残った。バフィ・セント=マリーが唄う「サークル・ゲーム」はウキウキするようなリズムなのに、ノスタルジックでセンチメンタルな歌詞とどこか切ない旋律が不安定にゆらぐ歌声と相まって、強烈に胸に突き刺さった。

作品はちっとも楽しめないのに何か引っ掛かる。こんな体験は初めてだった。

高校生になって、今度は『明日に向かって撃て!』と2本立てでまた小屋に掛かった。
喉の奥の小骨を抜いてしまおうと、また観に行った。2回観ればちゃんとツマラナイって言えると思ったからだ。

ところがそれまでの数年間で、ワタシはスッカリ'60年代の文化にかぶれてしまっていた。
音楽はビートルズにストーンズにスティーヴィー・ワンダー 、映画はアメリカンニューシネマ。60年安保に東大安田講堂、連合赤軍、よど号、浅間山荘...自分が生まれた時期の頃に関心が向いていた。

しかし世の中は、中核・核マルのアジトなんて言葉がごくたまにニュースの中に登場するくらいで、間違いなく夜が明るくなっていた。
ワタシの周りも皆楽しそうに浮かれている者ばかりであった。羨ましかった。

『いちご白書』に再会したのはそんな時だった。「サークル・ゲーム」「ヘルプレス」「僕等の家」「サムシング・イン・ジ・エアー」「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」。いずれの曲も、それが流れるシーンを見事に演出していた。

大学の体育館でジョン・レノンの「平和を我等に」を歌う学生たちの歌声が警官隊の突入によってかき消されると、警官隊が学生たちを問答無用に警棒で殴りつける鈍く痛い音と、悲鳴と怒号と、催涙ガスを放つ不穏な音が延々と続いた。
社会システムの強靭さと重圧と、個人の無力さを思い知らされるようだった。

だからこそ、主人公サイモンが恋人リンダに向かって警官隊の頭の上をダイブする最後のストップモーションに、それでも折れかけた心を何とか正したい、何かを信じていたいと言う「希望」をひしと感じた。

それはとても純粋で、厳しくも美しい、夏の終りのようでもあった。

今度はキタ!ここでも希望である。予想に反し、図らずも忘れられない作品となった。

ただ..."恋"とは何なのか、未だに答えが見つかっていない。
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