晴れない空の降らない雨

レミーのおいしいレストランの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

3.8
 やっぱピクサー作品の高品質にはいつも感嘆させられる。本作の翌年公開されたドリームワークスの『カンフーパンダ』を最近観たから、その凄さが改めてよく分かった。カンフーパンダも決して低いわけではないのだが、背景のディテールとかカメラワークとか全然違う。(もちろんその他全般。技術力だけでなく予算の要因もあるだろう。ドリワは経営よくないし。)
 ピクサーもカメラワークが自由度を増すのは『ニモ』の頃からだが、ブラッド・バードが監督すると、アクションが前面に押し出されることで、その激しさに目を奪われる。料理の天才ネズミを主役にし、一見そんなことにはならなそうな本作でも、とくに前半は怒涛のスピーディアクションが観る者を驚かす。
 もっとも実写とCGの融合が当たり前と化した現在においては、(少なくとも理念的には)一切をコントロール下に置けることによるアニメーションの特権ももはや失われたのだが。


 他人のプロジェクトの後始末を任されたブラッド・バードは、これをほとんど自分の作風に作り替えてしまった。冒頭のドキュメンタリー番組からして、即座に『Mr. インクレディブル』を思い出させる。正直ちょっとオトナ気ないくらい作家性の刻印に躍起になっているように見える。また、バードの来歴に詳しい人なら、類まれな才能をもちながら環境に恵まれない主人公のレミーに、彼の自己投影を読み取ることもさほど難しくあるまい。
 バードの作風というのは、端的にいえばロマンスを始めとするセンチメンタリズムや、子ども向けアニメ的なモラルの排除である。単に登場させないのではなく、冷笑やパロディによる攻撃まで加えてくる。例えば、前半に2度あるラブロマンスーーレミーが通りすがる馬鹿げた痴話喧嘩とパリが舞台のステレオタイプな恋愛映画ーーこれがリングイニとコレットによる本番のさりげない準備になっている。その手の込みようは、フランス・パリという舞台への監督の目配せだろう。コレットが典型的フェミニストであることも同様のフランス風味づけであると同時に、本作の冷笑趣味を増強している。(セクハラ騒動の煽りでラセターが干された去年だったら炎上したかもしれない。)


 コック帽の中から髪を引っ張って人間に指示を出すという、「ネズミが料理の達人」という奇抜なコンセプトに似つかわしい人を食った設定(これは元々の本作の監督ヤン・ピンカヴァが考えたものだが)。ネズミ軍団が力を合わせて調理するという、王道だがブラックジョークにしか見えない大団円。いくらでもハートウォーミングな話にできそうな本作は、こうしてスペクタクルと皮肉な笑いを散りばめた痛快な物語に仕上がっている。
 しかしながら、おそらくは進行途中の他人のプロジェクトを短時間で立て直すという制約もあり、『Mr. インクレディブル』ほどの隙のなさは達成できていない。そもそもレミーの才能が最初から完璧すぎ、物語上の障害は別の所にしか起こらない。そして全体の情緒が抑えられているのでカタルシスもなく、「出来のいい気晴らし」以上のものにはなりえない。
 とりわけクライマックスでは、タイトルにもなっているラタトゥイユを、なぜここぞという時にレミーは作ろうと思ったのかについて説明が全くない。ピクサー生え抜きの人間だったら、主役の重要な選択に関して動機を疎かにするなどありえなかっただろう。個人の内奥にクールな距離を保とうとする監督のスタイルは、一方では優等生的なディズニー/ピクサーのアニメーションに新風を吹き込んだが、他方ではこんなふうに肝心な所で脚本から説得力を奪っている。