ハルキストなんて言葉があって
声高に、特にオトコが言うのは恥ずかしかったりするのだけれど、村上春樹作品は小説に限ればほとんど読んでいる
学校に行こうとして駅前で誘惑に負け、いつもの場所でいつものピンボールマシンにコインを入れ、シークエンスを次々とクリアし、可能なリプレイ数を積み上げ、それがゼロになったのが8時間後だったなんてこともある(100円で10時から18時まで、立ちっぱなしだった……もちろん学校には行けなかった)
「1973年のピンボール」という小説と村上春樹にはそれほど傾倒していた
別にピンボールの達人というわけではないのだけれど、この1台とは(低俗なデザインのマシンなのが自分らしいなと今でも思うのだけれど)ひどく相性がよくて、この日だけでなく長時間プレイできることが多くて、そこには僕とそのマシンならではのサプライズも多くて、まるで好きな子との理想のセックスみたいだった
「ノルウェイの森」は極私的に言えばややカルト的な文壇登場をした村上春樹が主に女子大生の心をつかみ、ベストセラー作家へと躍り出た作品
何度か読んでいるけれどディテールまでは覚えていない
「バベル」「ノルウェイの森」と菊地凛子を見て、好きじゃないけど気にはなっていて、「トレジャーハンタークミコ」「獣になれない私たち」で賞賛すべきタレントなのだと思うに至り、配信終了通知に肩を押されて本作を再鑑賞することに
原作ファンからは特に菊地凛子の配役を酷評されている作品だし、前に見た時は僕もそう思っていた
高い湿度、風の強さ、慟哭……その文体からスタイリッシュ、ソフィスケートといったイメージで捉えられがちな原作とはむしろ真逆な要素が多いのだけれど、今回は原作に強くインスパイアされた別解釈の良作だと思えた
菊地凛子の直子は透明感、もしかすると普遍的な美しさと言う点でケチがつくのはもっとも
けれど、配役して無理のない年齢で、その後のキャリアを強い色に染めるであろう直子の役を引き受けて全うすることができる、どちらかというと「清純派」寄りの女優、いなかっただろうな、と
性的な要素を引き受けて、心の深淵を表現できて、という役どころだけにそんな女優、今でもいないと思うし、安直に例えば二階堂ふみならとは思うけど、おそらくそれは直子じゃないし
根気よくオーディションと役作りを重ねて、無名の女優の主演デビュー作にして最後の作品くらいの熱量で対峙しないといけない役柄なのかもしれない
お定まりのやり方だと日本の映画界、ショービズ界ではある意味「実写化不可能」な作品なのかも知れない
そういう意味では菊地凛子はこの作品を成立させているという点において十分に適役
霧島れいか、高良健吾、はよかった
水原希子の緑、いわゆる演技が上手ではないところが絶妙な「破調」で、これが虚構の中でリアリティとして成立している感じが唯一無二、すごくいいとあらためて
佇まい、立ち居振る舞いがきれい
細野晴臣、高橋幸宏はくすぐり?笑
僕にとっての緑はすごく大切な夢の人
本屋の二階に向かう階段(作中の階段が似ていて驚いた)とともに夢に何度も出てくる人
つかまえようとするとスッと逃げてしまう女性で、いまだに顔がよくわからない、というか、夢の中では見えている顔が、目覚めると見えなくなる感じ
緑の引越し先を訪ねたり、出会う女性のうちのいったい誰が緑なのか苦悩したり
その昂揚、そして苦さは、恋に似ている