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ファクトリー・ガールのGreenTのレビュー・感想・評価

ファクトリー・ガール(2006年製作の映画)
2.5
アメリカン・ポップアートの先駆け、アンディ・ウォーホルのミューズとして有名だったイーディ・セジウィックの栄枯盛衰を描いた映画です。

1964年、マサチューセッツはケンブリッジでアートスクールの学生だったイーディ(シエナ・ミラー)は、学校を中退してニューヨークに住む友人チャック(ジミー・ファロン)を頼って上京する。ニューヨークのセレブ界で有名になったイーディはアンディ・ウォーホルに見初められ、彼の取り巻きグループ「ファクトリー」の作る映画のミューズとして一躍脚光を浴びるようになる。

まずイーディの友人がジミー・ファロンってのが笑った。今ではこの人、すっかりトークショウの司会者なので、映画に出てるなんて知らなかった。

私はアンディ・ウォーホルのこともイーディのことも、名前くらいしか知らない(もちろんキャンベル・スープの絵くらいは知っているが)ので、この映画で描かれる印象だけで判断すると、なんかテキトーな集団だったみたいですね。

アンディ・ウォーホルはガイ・ピアースが演じているんだけど、全然ピンとこないキャラ。そもそも、アンディ・ウォーホルは醜く、外見に自信がない人という設定なので見た目が良くないのは仕方ないけど、「才能もないのに雰囲気だけで周りに持ち上げられ、取り巻きに囲まれて自分はすごいと思い込み、イーディを始めとする女の子たちや他のモデルを搾取して平気な顔しているヤツ」みたいに描かれている。

1960年代は性的に開放されていることが「ヒップ」だったからだと思うんだけど、セックス絡みのアートが多かったらしい。その中で、馬を使った映画を撮っていて、男たちが馬を囲んで「どれだけデカイか」とかって喋っているんだけど、馬がすごい嫌がっているのが可哀想だった。

その馬をなだめるのがイーディなんだけど、イーディは最初は「君は美しい、君はスーパースターだ」っておだてられて映画に出るのが好きだったみたいだけど、結局はこの馬と同様に性的に搾取されていたんだなあと思わされる。

イーディが出てたアンディ・ウォーホルの映画って、すごい絶賛されてたみたいに描かれているけど、内容に関してはなんか行きあたりばったりで撮って「なんか良くわかんないところがすごい」みたいな、昔のアートに良くある感じだった。

アンディ・ウォーホルは、モデルにお金を払わなかったらしく、イーディもお金貰ってなくて、ボブ・ディランがモデルの「ミュージシャン」もお金貰ってなかった。ファクトリーはそんな風に人を搾取して「アートらしきもの」を作ってた人たちって印象。

で、有名人だったイーディはボブ・ディラン(がモデルのミュージシャン)に出逢い、恋に落ちるが、それを面白く思ってないアンディ・ウォーホルに捨てられ、ファクトリーから追い出され、あとは一気に下り坂。

やっぱね〜、「手に職」がない人、ってか、若くて可愛いだけで有名になり、内容がない人はこうして使い捨てられるといういい例だなと思った。なんか日本のローラを想い出した。

映画の中でボブ・ディラン(がモデルのミュージシャン)は、アンディ・ウォーホルのアートを「中身がない」と批判していた。ボブ・ディラン本人は、この映画で「イーディの死は自分に責任があるかのように描かれている」と訴える直前だったらしいんだけど、なんでだかわからない。私には、ウォーホルがイーディを使い捨て、ボブ・ディラン(がモデルのミュージシャン)はイーディを救おうとしてたように見えたんだけど。

ウォーホルがイーディを見限った後に見初めたのがヴェルヴェット・アンダーグランドのニコで、ウォーホルはこのバンドをプロデュースして有名にしたらしいのだが、バンドのリーダーだったルー・リードは「金儲けのために書かれた薄汚い脚本」とすごい怒ってたらしい。なんか、ルー・リードは「ファクトリー」の一員だったか、近い関係だったようで、ウォーホル側の描写に腹を立てていたのかな。

誰がなんのために作った映画なのかあんまり説明がないので、本当にただ60年代のアイコンだったイーディが落ちぶれたってのをドラマチックに描いてお金にしたかっただけなのか、その辺は良く解らない。ただプロデューサーがハーヴィ・ワイスティンでかなり影響力あったみたいなので、彼がこういう作品にしろって口出したのかもね。

ウィキにピーター・ブラッドショウという映画評論家が「イーディのストーリーは悲劇だけど、大事な話とも興味深い話とも思えなかった」と言ってたと書いてあったけど、それがこの映画の的確な表現だなあと思った。
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