Jeffrey

天使の恍惚のJeffreyのレビュー・感想・評価

天使の恍惚(1972年製作の映画)
3.0
「天使の恍惚」

冒頭、東京総攻撃の計画。革命軍の四季協会、曜日の名前、秋、テロリズム、拷問、セックス、米軍基地の襲撃、失敗に終わる。閃光による失明、裏切り、富士山、爆弾。今、若者たちがそれぞれに散る…本作はカンヌ映画祭の帰り道に撮られたパレスチナ革命のためのニュースフィルムの急進主義をアートシアターギルド映画に持ち込み日本における革命運動の総括を試みた昭和四十七年に若松孝二がATG内で、初監督した成人映画でり、途中で権利を放棄したため(atg )に若松プロダクションも関わっている。この度DVDボックスを購入して久々に見返したがやはり凄いの一言である。いかにやばい映画を撮りたいか、歳を重ねても若松は表現者として物事をはっきりと映画に叩きつけている。やはり上映反対キャンペーンが巻き起こり日本映画史上に残る最も過激な問題作となっただけはある。確か無差別テロを助長する映画だったか、連合赤軍によるあさま山荘事件などが起きてしまったのに対してのタイミングの悪さや交番爆破が相次いだ時代的な運の悪さだったのだろうか…。

そもそもいまだかつてピンク映画をATGは受け入れていなかったのに、若者を中心に圧倒的な支持を当時集めていた若松がついに本作で登場したと言うのは記念すべき事柄だろう。すでにこの時点で六〇本以上の作品を制作してきているし、前衛的な作家による新しい映画制作に新たに仲間入りすることになった。しかしながら劇中の中で爆破していた新宿三丁目の交番が十二月にクリスマスツリー爆弾で実際に標的にされると言う事件が起こったそうだ。実際に交番爆破が相次ぎ、先ほども言及したあさま山荘事件も起きた。当時毎日新聞などを皮切りに公安警察や地元商店街の人が上映反対キャンペーンをしたそうだ。確かに実際に無差別テロを助長するような作品なので当たり前だが、そうした中で日劇文化爆破予告があり、ギルド系列館での上映は、アートシアター新宿文化一館のみになり、その背景には七十二年一月に日活ロマンポルノが摘発されたと言う事柄がある。

しかしこのような事柄を言うのは失礼かもしれないが、当時は観客からの支持を集めるとともに現在のアートシアターギルド映画史上最大の問題作としてATGのみならず日本映画を代表する作品となったともてはやされたが、改めてこの時代に見るとそんなこともない。まるで秋に落ちる枯れた落ち葉のようだ…。あくまでもー部層に絶賛された作品であり、映画総合で考えるとそんな問題的な映画ではない。当時の環境にタイミングよく現れたと言うことで(タイミングよくと言うよりか必然的に現れたのだが)もてはやされた映画だと個人的には思う。そもそも何で日本人がマルクス主義的な革命党ではなく十九世紀フランスの革命家ブランキの秘密結社四季協会であり年、四季、月、曜日に分けられた組織形態を下敷きにしているのかがわからない。六十二年に起きた連続無差別爆弾事件の草加次郎をモデルにしているようだが、物語構造が微妙である。

しかしながら赤軍派含む実際の活動家も多く参加している意味では若松映画の集大成と言えるのかもしれない。だが、元自由劇場で歌手の安田南が最初の主人公だったが撮影を二日終えたところで失踪したと言うトラブルも起きている。後にギルド作品で配給される「秘花」「聖母観音大菩薩」と比べるのならこの作品がダントツに迫力はある。ちなみに秘花は未だにVHSのままで円盤化されていない。しかしギルド作品にこのような過激な作品を通過させるためには監督自身のネーミングバリューが最も重要だろう。上映委員会が審査するのだから、題材も大事だし、色々と大変だったが何とか通ったのだろう。それも草加次郎と言う男を主題にしたことが大きなポイントになったかと思われる。


さて、物語は東京総攻撃を計画する革命軍、四季協会の十月組は、武器奪取のために米軍基地を襲撃するが、作戦に失敗し組織の再編を迫られる。裏切られ孤立した十月のメンバーは、協会に背を向け、爆弾を手にそれぞれが個的な闘いを固的に展開していく…本作は冒頭にモノクロの描写で女がバーのようなところでひたすら歌っているショットが映り込み、ベッドシーンにカットが変わるとカラー映像に変わる。秋あき軍団の秋、九月、十月、十一月の四人が、ナイトクラブでテーブルを囲みながら武器奪取のために米軍基地襲撃作戦の秘密会議を開いている。成功を祈って乾杯するその後では、十月組の金曜日が歌っている。その夜、現場の指揮をとることとなった十月が、秋と激しく抱き合い、革命軍兵士としてのお互いの関係を確かめ合う。

二台の車が基地の前に到着すると、十月を先頭に月曜日から日曜日まで計八名の兵士が降り立つ。フェンスを手際よく切断して侵入し、武器庫を探し当て、それぞれが爆薬の入った木箱を抱え戻っていくが、見つかってしまい激しい銃撃戦となる。火、水、木曜日は銃弾に倒れ、十月も爆弾の閃光で失明する羽目になる。土曜日に助けられるが、かろうじて逃げ延びた十月は、九月組との合流地点に向かうが、姿を現したのは九月ではなく秋であった。秋は、一方的に作戦の変更を伝え、抵抗する十月を連れて行く。隠れ屋である金曜日の部屋で、月曜日と金曜日が抱き合っていると、突然冬の二月組がやってくる。一年の決定により、秋の十月ではなく冬が計画を実行に移すので、すぐに爆薬を渡すよう命じる。二人はそれを拒否するが、激しい拷問を受けた末に武器を奪われてしまう。その夜、秋と冬が十月組の冬軍団への再編を話し合っている。

十月の潜伏するアジトに月曜日と金曜日がやってくる。二月組が動き出したことを知り、十月は初めて裏切られたことに気づく。月曜日と金曜日は、残された武器で個別に爆弾闘争を開始していくが、十月はそれを黙って見守っている。土曜日に現状報告を受けた秋は、十月組の解散と冬軍団への統合を正式に通達し、事態の収拾を図ろうとする。土曜日は、十月と金曜日にそれを伝えるが、十月は十月組として独自の方針を打ち出すことを決意し、四季協会へ決別の挨拶をすべくアジトを爆破させる。金曜日の部屋に移動した十月と土曜日が、その方針をめぐって激しく口論する中、金曜日は爆弾を持って出かけていく。月曜日がやってきて、資金稼ぎの仕事のために女子高生売春婦の写真を撮り始める。土曜日は、その態度に怒りをあらわにするが、月曜日は爆弾を抱えて死んでいく一兵卒としての自らの覚悟を悟り、十月も加わって、幹部候補生として革命軍の規律を正し、組織の側に身を置こうとする土曜日を激しく糾弾する。そして、土曜日も徐々に十月組として独自の方針を実践する決意を固め、爆弾を手に街へ出かけていく。

無差別攻撃を行う土曜日の前に、秋の車が止まる。土曜日は、十月組の自らの方針を伝えるが、秋はそれを無視し最後の指令として解散式を行うことを十月に伝えるよう命じる。翌日ナイトクラブに秋軍団が集まっているが、十月はやってこない。それで秋は自らの判断の誤りに気づき、十月組の個的な戦いを擁護し、絶叫する。その後には金曜日の歌が響いている。協会を裏切った秋は数人の男に刺され、血しぶきを上げながらくたばる。月曜日は爆弾を持って街を駆け抜けていく。

金曜日は車で国会議事堂に自爆攻撃を仕掛ける。爆破の瞬間には富士山が見える。金曜日のマンションで、土曜日が爆弾をバックに詰め込んでいる。土曜日は、行動共にするように要請するが、十月は分身攻撃あるのみとそれを拒絶する。十月は、出かけていく土曜日を見送りながら、自らに向けた激しいアジテーションを始める。そして爆弾でいっぱいになった大きなバックを抱えて街へ一歩一歩進み出して行き、新宿の風景の中に溶け込んでいくのだった…とがっつり説明するとこんな感じで、当時は藤田監督の「八月の濡れた砂」と二本立てで上映されたらしく、その作品が終わった次の段階で「天使の恍惚」が上映されるやいなや、ー、ニ階の通路にまで座り込みで見ている観客(若者)が多かったそうだ。

ちなみに全国でー館しか上映していないので、若い人が九州や北海道から集まって大きな荷物を手に持って観たそうだ。初日で一六〇〇人の観客が来たと言うのは当時としてはすごいだろう。しかし映画を見ればわかることだが、とことんこの十九世紀のアナキスト、オーギュスト・ブランキが組織した秘密結社四季協会をモデルにした組織の中でのヒエラルキーで十月組に対する指令者の秋の陰謀によりとことんぐしゃぐしゃになっていく非状な状態が垣間見れるのは面白い。

この映画を見ると「性賊セックスジャック」においての鈴木が一人で人を殺していたと言う過程を見るとグループを作るよりやはり一人で作戦を練って実行する方が手っ取り早いのかと思ってしまう。だが、彼らはー人残らず自分で標的を選んで単独者としてあちこちに行き一人で攻撃することを決意する。この極限的な個への計らいは何なんだろうかと今でも思うが、過激派党派内の権力闘争や粛清に対する監督のうざい気持ちが批判的に映像に入り込んでしまったのじゃないかと思う。ちょうどタイミングよくあさま山荘での粛清もニュースになっていた頃だと思うし。しかしながらこの作品のタイトルにもある恍惚=エクスタシーの中で美しいセックスが映されるのはこの映画の最大の魅力だろう。

登場人物の名前がまずややこしくて複雑で難解であるし、若松と言う作家は新左翼についての事柄を描くのが非常に好きだなと感じるのと、もはやピンク映画はもう力尽きたと言わんばかりの激しい描写や女性没主体性を土台にしていたピンク映画の様子が見受けられないのも残念である。それと下層プロレタリアートの本質を描くのが好きなのにもかかわらず、永山則夫事件を映画化しなかったのはなぜだろうと言う疑問がつく。新藤兼人監督が先に撮ってしまったからなのだろうか、ともあれこのアーバニゼーションやラディカリゼーションに対応している作風が多いなと感じた。とにもかくにもこの作品では日本の象徴的な国会議事堂と富士山を爆破と言う演出でフレームに閉じ込めているので、愛国者から見れば……な映像である。
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