Fitzcarraldo

ハード・プレイのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

ハード・プレイ(1992年製作の映画)
2.0
1992年にアメリカで製作・公開された“White Men Can't Jump”(原題)
日本では翌年に邦題を『ハード・プレイ』として公開する。
なんどもタイトルについては言及してるので、ここでは多くを述べないが邦題を改悪する問題は根深く残る負の遺産なのか…

とはいえ本作の原題は原題で良い印象とは言えない。

White Men Can't Jump
(白人は飛べない)

タイトルにするほどのキーワード、キーフレーズであるはずなのに、なぜ白人は飛べないのか⁈という問題に全く切り込んでいかない…ただ飛べない、理由はないけど飛べないのだということでしかないのだ。なにそれ⁈…WHY?なんでよ?

NBAの中で黒人選手の割合は75%を超えている。世界でも類を見ないほど生き残るのが圧倒的に厳しいNBAの中で、7割を超える数字は、やはり人種の中でもズ抜けた身体能力の高さを誇る証明といえようか…。

飛べない白人は、そんな黒人から見た白人への差別用語なのか⁈とも言えないような描写の連続…
よくわからん…

バスケの世界はそんな甘いものじゃなく、裏では血の滲むような努力をしているのだ。ロッキーではないけど、特訓シーンとか入れて何か成長のための努力を見せて欲しかった。

最初から最後まで、ただただバスケなら負けない。オレらは最強のパートナーだっていうのは…ね…
ちと短絡的過ぎやしないか…。

現代のNBAファンである私としては、主演二人のバスケのスキルがまだまだヒヨっ子同然で…それを言っちゃぁお終ぇよなんだけどね。役者にしては、頑張ってたとは思うけど、そのスキルでストリートで勝ちまくるのは到底不可能としか思えない。フィクションと言えども説得力に欠けてしまう。

シュートならどうにか入ったカットを使えば誤魔化せるが、ボールハンドリングは一朝一夕でどうにかなるものではない…もろスキルが出てしまう。

8000$の借金も何も説明しない。
なぜ借金を作ったのか⁈これをドラマに掛け合せればいいと思うのだが、借金がある、追われている、金が必要、じゃぁ賭けバスケだ…軽い…その行動に対しての理由が軽いから没入感が削がれドンドン集中力が切れて、あと何分で終わるんだこの映画は?と時間ばかり気にして、冗長に感じてしまう。

コメディであれば、行動の理由は軽くても良いのかと思うが、コメディであれば笑わせないと…。
正直笑うところはひとつもない。
英語が理解できればスラングの応酬で笑えるのかもしれないが、寅さん大好き下町生まれの私には英語の罵り合いが理解できるはずもなく、子どもの喧嘩にしか見えずみっともないとしか思えない…。

ユーモアのセンスを感じられない。ただギャーギャー喚くのなら誰だってできるのではないか⁈
クリエイティブさがない。

クイズの問題ばかり覚えている彼女にしても、なぜ二人が愛し合ってるのかが解せない。

二人は恋人です。
愛し合ってます。
でも借金があります。
くっついたり離れたりします。

なにか箇条書きの文を見せられてるような感覚というのか…。
そういうシーンだよー、見たら分かるよねーっていう…映像の表現ってそういうことじゃないと思うんだよなぁー…うまく言葉で紡げないのが悔しいが…

箇条書きの連続では物語としては不成立だと思う。見ている人が、見ながらにして、こうなのかなぁと想像の羽根を広げてくれるような余白がないといけないのではないか…その想像を超える展開に震えたり涙したり感動するのではないだろうか…。

こうです。
こうです。
こうです。

と箇条書きの表現には、
あっ、そうですか…
あっ、そうですか…
うん、そうでしょうね…



となる…。

いやー改めて物語ることの難しさを痛感する。

この映画が全米で7600万$の興行収入を叩き出し、この年の16番目に入る好成績を残したことが意外過ぎる…

しかもWikipediaには、スタンリー・キューブリックのお気に入りの映画とある。ホントかぁ⁈俄かに信じ難い。
Fitzcarraldo

Fitzcarraldo