タケオ

1984のタケオのレビュー・感想・評価

1984(1956年製作の映画)
3.7
 個人の「自由」が全体主義によって容赦なく捻り潰されていく様を描いた、イギリスの作家ジョージ・オーウェルによるディストピア小説の金字塔『1984』(49年)の3度目の映像化作品。前2作はテレビドラマなので、映画として制作されるのは本作が初となる。
 主人公ウィンストン(エドモンド・オブライエン)の体型やジュリア(ジャン・スターリング)の髪色など細かな変更点がいくつか見受けられるが、物語自体は比較的原作に忠実なものとなっている。ただ、当時はいわゆる「ヘイズコード」が導入されていたため仕方がないのだが、やはりウィンストンとジュリアのセックスを描けなかったのが惜しまれる。本作に登場する党はあらゆるものを抑圧することで自らの権力を保持しようとしており、セックスすらもその対象に他ならない。ゆえに、セックスとは党に対する反抗とイコールであり、そして自らの「自由」を証明しようとする行為でもある。本作のクライマックスで、党が拷問によって2人の愛を粉砕しなければならなかった理由がそこにある。党が自らの体制のことを「恒久的かつ絶対的なものである」として憚らない以上、個人の「自由」の存在を認めるわけにはいかないのだ。そんな党の残酷さを描くためにも、やはり2人のセックスは必要不可欠だった(84年に制作されたリメイク版の性描写が生々しいものとなったのを、ある種の必然としてみることも可能だろう)。
 しかし、やはり何度鑑賞しても恐ろしい作品である。そもそも『1984』はナチスやスターリニズムに対する警笛として執筆された小説のはずなのだが、どうやら世界各国の権力者たちは『1984』のことを「マニュアル」だと勘違いしているようで、作中で描かれていた恐怖が日々現実味を帯びてきていることに戦慄を覚える今日この頃だ。歴史や記録を改竄し、他国への憎悪を煽り、貧困に喘ぐ弱者を権力者たちが平気で踏みつける。『1984』が描いたディストピアは、決して遠い世界の話ではない。
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