ヤンヤン 夏の想い出の作品情報・感想・評価

ヤンヤン 夏の想い出2000年製作の映画)

A ONE AND A TWO

製作国:

上映時間:173分

ジャンル:

4.2

「ヤンヤン 夏の想い出」に投稿された感想・評価


8歳になる少年ヤンヤンは、台北で祖母と両親、姉との5人で暮らしていた。ある日、親戚となる叔父の結婚式の後、祖母が体調不良で自宅で倒れてしまう。何とか一命はとりとめたものの、昏睡状態で帰ってきた祖母の看病に疲れた母親は家を出てしまう。父は家業である仕事に奔走されながらも、昔の恋人に偶然遭遇し、出ていった妻との冷えた関係から淡い想いに恋い焦がれ、姉は隣に引っ越してきた同級生の恋人に心惹かれていく。。ヤンヤンの周りで起こるひと夏の出来事を巡りながら、台北のごく普通の家庭を通じ現代の家族が抱える問題をリアルに描いたドラマ。監督は「恐怖分子」のエドワード・ヤン。

台湾の次世代を担う監督として期待されながら、2000年に製作されたカンヌ国際映画祭監督賞を受賞した本作後に癌を患い、2007年に59歳の若さで急逝したエドワード・ヤン。本作は実質的に彼の遺作になるわけですが、今年(2017年)、彼の1991年の作品「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」がリマスター上映されるのを機に、本作を再びスクリーンで観てみました。とはいうものの、僕はヤン監督作は本作しか観たことがないのですが、2000年頃の大学生のときに金沢の映画館で観たときも結構衝撃というか、すごく心に染みた作品だったので、もう一度観てみたいとはずっと思っていたのです。ちょうど京都の映画館で35mmでの上映される機会があったので、再び観てみた次第です。

本作しか知らないので、エドワード・ヤン論は語れませんが、作品の雰囲気は「ナッシュ」などの群像劇で知られるロバート・アルトマン監督作に近いと思うんですよね。そもそも、本作は「ヤンヤン」という少年の名前はついているものの、肝心のヤンヤンを主としたお話がほとんどないのです。そのヤンヤンの家族一人一人の物語がまるで走馬灯のように描かれる。群像劇といっても一人一人にフューチャーしていくというよりは、祖母が倒れて、亡くなっていくまでのひと夏を、ヤンヤンを象徴として、周りの人々の動きをまるで風景のように描いていく。その中には恋い焦がれていた昔の思い出が蘇ったり、自分がしてしまった残酷な行為を必死に後悔したり、見失いそうになる自分自身を取り戻そうとしたり、吹けば吹き飛んでしまうような淡い恋頃をどこまでも追い求めてしまったりと、人生のよくあり会える瞬間瞬間を、ヤンヤンの家族一人一人を使いながら描いていく。その中に、生だったり、死だったり、罪だったり、辱めだったりと、思えば残酷ともいえるシーンを挿入していくなど、様々な感情はありながらも、どこか過ぎゆく時の流れのように冷徹な視線もあるのです。見かけシンプルなようで、凄く繊細で深い作品なのです。

それにしても結婚式で始まり、葬式で終わる本作は人間ドラマとしては鉄板の構成ですね。いろんなジャンルに鉄板なストーリーの流れというのがあるのですが、人間ドラマでは起承転結の起と結を、こうした冠婚葬祭で挟むのが鉄板なんですよね。これを意図しないようにすんなりできるのがいい。実は最近観たある邦画も、この鉄板構成だったのですが、それは後ほどの感想文にて。。
エドワードヤンは私たちにいわゆる"人生"のベストショットを教えてくれただろう。生きていれば味わうことのできる(決して手の届かないところにはない)体験の喜び、悲しみ、郷愁を素晴らしい構図で我々に体感させてくれたことがよかったのだと思う。
ポチャ

ポチャの感想・評価

4.5
3時間があっという間。イッセー尾形のピアノ、ラブホテル、パンチラ雷
抑揚を抑えながらも、家族のそれぞれの人生の起伏を丁寧に描写した秀作。
セリフの一つ一つ、カメラワークの巧みさにハッとさせられる。
台風の夜に見てたらラスト10分くらいから窓の外が朝日キラキラになったの、ヤンヤンのためだった絶対〜🌃🌇
shitpie

shitpieの感想・評価

5.0
エドワード・ヤンの映画は時間が一方向にしか進まないから素晴らしい。ヤンはけっして映画内の時間における過去を映像として語らない。そう、人生同様、映画の時間も前にしか進まないのだ。フィルムのリールが回るように。最後のヤンヤンのセリフを反芻する。時間について語った映画で、過去、これほどまでに素晴らしいものがあっただろうか。

『ヤンヤン』で主要な舞台となっているヤンヤン一家の家の構造が、未来からファルハディの『別離』とミヒャエル・ハネケの『アムール』を呼び寄せる(それは単なる影響関係を超えたなにかである)。『ヤンヤン』の物語は映画史の過去から小津安二郎と『ゴッドファーザー』をも口寄せする。2000年という象徴的な年に公開された『ヤンヤン』は映画史の過去と未来を乱反射しながら、ひと連なりの歴史を分節する、いわば栞のような作品として屹立している。

ヤンヤンの父、NJは映画も最終盤に差し掛かったところで妻に向かって告白する。「実はさいきん、青春をやり直す機会があった。でも結果は過去とおなじだった。それで気づいたんだ、人生をやり直すチャンスなんて必要ないとね。一度でじゅうぶんだ」。これは、『 Boyhood (6才のボクが、大人になるまで。) 』のあの最後のセリフによく似ている。リチャード・リンクレイターが『ヤンヤン』を観ていないはずがないが、逆に神がかりのようなこの映画が『 Boyhood 』を呼び寄せてしまっているのだ、と考えたほうが自然なくらいだ。

おとなはわかってくれないし、子どももわかってくれない。『ヤンヤン』のおとなたちはだれもが無責任だし、感情は不安定だし、自分勝手に逃げるし、借金するし、浮気するし、喧嘩する。馬鹿だ。はっきりいって、おとなげない。それでもなんとかやっている。はたらいて、ご飯をつくって食べている。子どもたちはそんなおとなたちを「なんだかなあ……」と思いながら見つめている。エドワード・ヤンは「おとなだって、まあ、こんなもんだよ」と言っているようだ。

ヤンヤンの姉、ティンティンは夢の中で祖母に語りかける。夢はこんなにも美しく、幸福だ。目が覚めなければいいのに。父、NJも序盤で同様のことを語っている。いわく、朝起きるのはだるい(笑)。それでも子どもたちは朝起きて学校へ行く。おとなたちは職場へ赴く。まあ、そんなもんだよ。

ティンティンの友人のボーイフレンド、ファティは語る。「映画の発明で人生の3倍を知ることができるようになった。ぼくたちは殺人を犯したことはないが、映画によってそれを知っている」。この言葉が悲痛であることは、『ヤンヤン』を最後まで見ればわかる。『ヤンヤン』は、映画とは他人の人生を覗き見たりそれを知ったりするためのメディアであるとも言わないし、あるいは映画とは美しく儚く幸福な夢であるとも言わない。『ヤンヤン』は、映画が現実の似姿であり、かつ夢の似姿であることも知っている。夢と現実とに引き裂かれた奇妙なねじれた異形のもの--それが映画であると『ヤンヤン』は語りかける。

イッセー尾形の演技が素晴らしい。ヤンの演出で完璧にコントロールされた他の俳優たちとまったくべつの質と強度のフリーフォームな演技だが、それこそがイッセー演じる大田というキャラクターを神のような、あるいは妖精のような、浮世離れした存在たらしめている。
Ayaka

Ayakaの感想・評価

4.2
昔の恋人との熱海旅行、理不尽に終わる初恋、自分の生活の単調さへの嘆き。
悩める大人たちの間で無邪気に一夏を過ごしたヤンヤンも、あの素晴らしい感受性を手放していつか大人になってしまう。
大人になるということは、難しい事がわかるようになる判明、単純なことがわからなくなってしまうことのように思えた。
結局1番おばあちゃんのことを理解していたのは最期まで話しかけなかったヤンヤンだった。

「生まれたばかりの従兄弟を見る度に《私ももう年よ》と言っていたおばあちゃんを思い出すよ」…ラストの作文に泣いた。

結婚式で始まってお葬式で終わる、一夏に人生を凝縮させた映画。
すべてがいとおしい。
メイ

メイの感想・評価

-

2017.09.07 光点華山電影館にて。

赤い椅子に赤い壁に赤いライト。そしてこの映画の初めも赤。

今いる場所、通った道と乗ったタクシーがそのまま映画に出てる。贅沢なシチュエーションで観た。字幕が英語と中国語で半分もわからなかったけど、幸福感でいっぱいだからオールオッケー。
また観ようと。
梅田

梅田の感想・評価

4.6
『恋愛時代』も『クーリンチェ少年殺人事件』もそうだけど、多くの登場人物が繋がっていないようで繋がっていて、かつそれぞれのエピソードが印象的で台詞もコンポジションも洗練されていて、そのうえ自然。本当に意味わからんくらいエドワード・ヤンはすごい。
ダイレクトに泣きとか笑いの感情を刺激するようなシーンはほとんど無いんだけど、ある一つの物事に対する感情は人それぞれで……咀嚼できないシーンがいくつもあるけど、そういう蓄積が(特に後半は)バシバシ効いてきて。ふとした一つのセリフがいくつもの感情を刺激してきて大変だった。カメラがあまり動かないのも、要は作り手の恣意で見せたいものを縛らないということなのかと思う。ヤンヤンがプールに飛び込むシーンが呼び起こすドキドキとかムズムズの感情に名前なんてつけられない。
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