後の宮崎駿の「もののけ姫」と比較して観賞すると、より面白い。
何故ならば両作品とも神秘主義と合理主義の対立を描いているからだ。
もし「もののけ姫」の時代に妖怪大作戦が行われていれば、人間たちは山を壊すことをやめていただろう。しかし、現代の日本人は総じて合理主義的なものの見方をするようになった。
「もののけ姫」の時代には異端だったエボシのような合理主義が大多数を占めるようになった。
これには神秘主義の無駄遣いで突っ走ったかつての日本がゴリゴリの合理主義であるところのアメリカにコテンパンにやられてしまったことも大きな要因としてあるだろうと思う。
でも、そんなことを狸は知らない。
日本人の価値観がガラリと変わってしまったことを知らない。
故に、人間は神秘の力にうたれて昔のように信心深さを取り戻すだろう、と楽観した。
人間と狸の勝負は、エボシがシシガミの首を飛ばした時点で決まっていたのだ。
しかしこう考えると宮崎監督はつくづく高畑監督の新作に闘争心を燃やしていた人だったんだなぁ、と思う。
耳をすませばの冒頭のコンテも本作の続きと思えば大変意地が悪くてしょうがない。
何、狸から奪った土地でいちゃこらしとんねん!