晴れない空の降らない雨

ロベレ将軍の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

ロベレ将軍(1959年製作の映画)
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 鑑賞そのものは苦痛に近い。見世物(スペクタクル)としては今三歩であり、逮捕前は大半のシーンが無駄としか思えない。演出もひどく、わざとらしく性急に動くカメラは、余計なことをしなければ得られたはずの緊張感を画面から剥奪してしまう。実際の当時の戦禍の光景を交えるのは監督の代表作と同じ手法だが、さすがに戦後15年経とうとしている時期ではフィクション部分と遊離してしまっている。
 さて、COVID-19が本格的に騒がれ始めた頃にカミュの『ペスト』がにわかに注目を集めた(あるいは誰かが集めようとした)が、そのなかの「人は神によらずして聖者になり得るか――これが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」という台詞が妙に印象的でよく覚えていた。
 そして、この言葉の重みが段々と解ってきた気がする今日この頃、同時代人のロッセリーニもまた、同じような問題関心をもって映画を撮っていた人だったのではないかと思われてくる。
 聖人に「なる」という点が重要だ。最初から聖人なのではなく、ただの人間が聖人へと変わっていく。そのプロセスこそを、ロッセリーニのいくつかの映画は語ろうとしている。この映画もその1つであり、その意味ではなかなか興味深い作品だった。
 とはいえ、カミュと同様、ロッセリーニは神と縁を切っているのだろうか。いや、信仰に関する彼の立場は両義的に見える。ともあれ、この映画では少なくとも「信じる」という「なる」について、見かけ以上に深い考察がなされている。神ではななくとも、何かを信じることが、聖人になることとセットなのだ。
 さらに、それは言葉というものと結びついている。ロベレ大佐に面会に来た妻を、『戦火のかなた』のベルクマンを思い出させるナチス将校が言葉巧みに説得して帰らせるシーンがある。この説得の台詞が実に見事で、「これなら引き下がってもおかしくない」と思うものだった。が、これは真っ赤な嘘なのである。そしてロベレ将軍のフリをさせられるデ・シーカ演じる主人公も詐欺師であり、劇中の彼の言葉も大半は嘘である。しかし、映画は、そうして騙された大佐の妻による手紙の言葉が、結局は主人公を突き動かす。ロベレのフリをした主人公の言葉もまた、人びとの心の支えとなる。
 このように、本作のテーマは「言葉」にあると言ってもよいのだが、その力の源泉は信じるという人間の能力にこそある、とロッセリーニは言いたいのだ……と思った。まぁ、これは多分に自分が思ったに過ぎないことには違いないが。どっちみち映画としてはつまらないです。