菩薩

七年目の浮気の菩薩のレビュー・感想・評価

七年目の浮気(1955年製作の映画)
4.2
この映画のマリリン・モンローは存在していない。と書くといささか語弊があるが、彼女があからさまに(分かりやすく言うと)「ヤレそうな女」として描かれるのも、それに対して都合良く事が進んで行くのも、全ては妻と子を避暑地に送り出した居残り男性の頭の中の妄想の産物であり、彼女は彼の頭の中にこそ存在している人物だからである。いささか女性蔑視的に思えるのも男性視点のみの妄想劇だからであり、マリリン・モンローは「禁酒!禁煙!勿論浮気も禁止!」を突破する為の「口実」が実体化してしまった存在である。人間はその愚かさ故、時には禁止された事を破る事そのものがそれを実行する理由になってしまう。今で言えば「自粛にご協力を…」と言われてもまるで出来ない人がいる様に…。一人だからと言ってハメを外してはいけないとの強迫観念に駆られた彼の世界では、遂に上階(天国)へと続く羽目板が取り外さ、下界に天使たるマリリン・モンローが舞い降りて来る。真っ赤に実ったトマトは林檎の役割を果たし、彼の住居を失楽園へと変貌させていく。とまぁ彼がどうしてそこまで妄想に走ってしまうかと言えば、ひとえにまず働き過ぎであり、同時に彼自身は妻を愛しているが、妻に愛されているとの自信があまりなく、捨てられてしまうのではないかとの強迫観念に駆られているからでもある。彼は『大アマゾンの半魚人』同様に愛に飢えている。夏休みくらいちゃんと家族で過ごせる世の中になれば、きっと家庭の円満も保たれるだろうと言うのが、この作品が最も言わんとするところなのではなかろうか。ちなみにマリリン・モンローは「ブロンドの美女」としか役名が与えられていない。
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