テイアム

28週後...のテイアムのレビュー・感想・評価

28週後...(2007年製作の映画)
3.8
 前作『28日後…』はダニー・ボイルが監督した全力疾走系及びウィルス感染系ゾンビムービーとして世界に衝撃を与え、数年後に公開されることとなるゾンビ新時代の文字通り“夜明け”となった『ドーン・オブ・ザ・デッド』にも大きな影響を与えました。
加えて両作品とも賛否の別れる作品でありながら当該ジャンルの一つの転換点となったことで記憶に新しいと思います。
その『28日後...』の正当な続編・後日譚として製作されたのが本作でした。
そして数あるゾンビ映画の中にあって、救いの無い人間ドラマとゾンビサバイバルのバランス感覚という点では本作が同系統の作品群において頭一つ抜けていると思っています。何より現時点個人的にドストライクであり、愛してやまない作品です。

本作においてダニー・ボイル自身は製作総指揮に回り、監督は『10億分の1の男』等を手掛けたスペインのファン・カルロス・フレスナディージョが務めました。
 
物語は前作の流れをそのまま組んでいて、登場人物こそ被らないものの同じロンドンが舞台となっており、ゾンビの描写についても『28日後...』の設定をほぼそのまま引き継ぎ、相変わらず"彼ら"は全力疾走しています。設定上ではあくまで凶暴性を増幅させる「レイジ・ウィルス」の感染者であるので、ジョージ.A.ロメロ御大がレールを敷いた所謂クラシックなゾンビの雛形からは大きく逸脱するものですが、そこは前作同様に現代的なアレンジは思ったほど行き過ぎる事無く、劇中の緩急の幅を広めることに大いに役立っていると思います。

 そして本作における最大の魅力は、登場人物がとるヒロイックな行動に限らず、その決断がもたらす結果がことごとく否定されるところにあります。
 一般的な人間は自分の理解の及ばない恐怖には立ち向かわない(立ち向かえない)し、考えることを拒否しがちです。人間性など捨て去り、ただ目の前の脅威を排除するだけで、そこに美しい葛藤が生まれる事は稀です。それに対して、本作では物語的に賞賛され易い「誰かを助けようと奔走する、利他的な振る舞い」を自己犠牲のお手本のように描きますが、それもまた別のコミュニティので生きる人間にとっては脅威の一つであり、また大きなリスクを孕むことを何の躊躇いも無く残酷に演出します。
 希望が残されているようで逃れられない恐怖、畳み掛けるようなショッキングな展開の連続は申し分ない絶望の画になっています。
 
 ロメロ・ゾンビから脱却しながら、その発生から世界の終焉までの一場面を切り取った作品であることを定石とするゾンビ映画としてこれ程の完成度はなかなか無いだろうと思っています。

 内包する人間ドラマは、過去の同種作品群と同じく自分の愛する人、家族がゾンビとなって襲ってきた時、自分は本当に殺せるのか、どんな行動を取れるのかという大きな軸があります。
このテーマは、先述のとおり単純なホラー要素やロメロ御大の時代毎の社会批判の色が強かった80年代後半までの作品に比べ、アクションと人間ドラマ中心となったゼロ年代のゾンビ映画としては、はっきり言って珍しくはありません。
しかし走るゾンビがブームになってから、生死を分けるスリリングなアクション映画としての駆け引きを優先させる為に、早い展開が必要とされ、結果としてゾンビに対して引き金を引くか否かの葛藤が物理的に描き難くなった昨今において、一本丸々使って家族の愛や繋がり(同時に希薄さ)というテーマで撮りきった本作は、単なるサバイバルではなく、宣伝文句のとおり「愛する人に殺される悲哀と、愛する人を殺す絶望」をこれ以上ない程痛々しく観る者に突き付け、他の作品とは異なる琴線への触れ方を試みていると思います。

そして主人公である姉弟の絶望的とも言える成長の無さ。
2人は文字通り物語的通過儀礼に則った形で『父殺し』をするわけですが、それまで苦難を乗り越えられたのは全て他人の犠牲の上に成り立っており、彼らが自立して何かしら試練を克服することは最後までありませんでした。
弟に至っては姉のタミーに甘やかされるだけで、姉の擁護から自立する事すらありません。姉のタミー自身、弟のアンディを献身的に守るようで、それは彼女自身が独りになりたくないという自己愛に基づくものであって、2人はタチの悪い共依存の関係にあったのです。
それは最後にタミーがアンディの感染を知りながら「感染していない」と嘘をついてでも彼を守ろうとする一見優しさにも見える自己中心的な言動に現れています。

物語の冒頭、隔離され安全を保証された区域から外に出る彼らは遊び半分でした。
コードレッドが遂行されるほど危機的な状況に陥り、父親が感染者として自らの行く手を阻む存在となった時、彼らには大人への成長が必要とされていたにも関わらず、周囲の大人たちの好意に甘んじてしまったがためにその機会を失い、結局子供のまま再びヘリに乗って元のコミュニティに逃げ帰るのです。それまでにやった事はただ一つ、父親を殺しただけ。

通常、物語の上で通過儀礼に失敗した者は、自己矛盾に苦しんだ挙句、惨めな死が待っているものです。
アンディにはウィルスへの耐性がありました。しかし成長を拒む彼らが今のように子供のままでは世界の崩壊は止まらないし、英雄も現れません。物語の終わりに彼ら姉弟の姿を通じて暗示していた人類の未来は避けられない絶望を予感させるもので、救いのない人間ドラマとして描かれた本作は、残酷なほど現実的でした。

ファン・カルロス・フレスナディージョ監督の前作『10億分1の男』でも“父殺し”が印象的な描き方をされていただけに、私は監督が意図して彼らを成長させなかったのだろうと思っています。
後で知った事ですが、前作『28日後...』とは異なり本作からアメリカは製作に絡んでいません。
父と子の関係を通じて主人公の成長を描いてきたアメリカ映画に対して、その辺をあえて批判的に描いたのは、そこに理由の一端が見え隠れしているように感じる...のは少し陰謀論的なのでやめておきます(^^)

音楽も含めてとても大好きな作品。
加えて美しいイモージェン・プーツも個人的見どころとして何度もリピートして観ています♪