りほこ

クレイマー、クレイマーのりほこのレビュー・感想・評価

クレイマー、クレイマー(1979年製作の映画)
4.8
"ママがお家から出て行ったのは、パパがママを1つの型にはめようとしていたからだ。"

1960年代後半にアメリカを中心として興ったウーマンリブの動き。それから20年弱。主婦として生きる選択肢を強いられた女性が、"夫に話を聞いてもらえない"そんな事情から自分への自信を失い、恐怖と不幸に見舞われ家を出ることになった。
ウーマンリブが勃興して女性に高等教育がなされた後も尚、女性は就職活動では"幻の赤ちゃん"を思いながら仕事を探し、子供を産んだ後に夫や子供にに尽くさない事を非難された。そうでなくも、ステレオタイプにはめられて育った多くの女性達が、"そうであるべき"と自主的に主婦に就いた。

夫婦が別居し、子供を争って裁判になる。裁判の中で印象的なのは、
暴力・酒浸り・浮気等をしてない事は男性へのプラスの評価になるが、女性はそれがしてなくて当たり前、当然とみなされて評価の対象にはならない。むしろどれかに当てはまる事で、"母親失格"の烙印を押される。他方で、子育ての傍で仕事をする男性は、仕事場で子供の話をすると煙たがられ、家庭の事情(子供の送り迎え)を持ち込むと"仕事ができない奴""付き合いが悪い奴"とマイナスに評価され、子育てができない環境にある。何か仕事における失敗があると、"父親失格"の烙印を押される。
お互いが分業せざるを得ない、社会が形成されている。
印象的なのは、"野心に性別が関係ないのと同様に、子育ての適性にも性別は関係ない"との言葉。彼女や裁判長も、"子供には母親が必要"と思い込んでいた。彼女が夫から存在を消されたように感じ、自分の魅力や可能性に自信を失ってしまったのと同様に、彼もまた子育てから父親が外されている事に違和感を感じていたのかもしれない。

現代版離婚裁判のマリッジストーリーとは異なる部分が数多い。子育てにおける性差は無くなりつつあるとは言えず、今も昔も、互いに違和感を感じながら、社会のステレオタイプにハマるしかない大人が多いのかもしれない。
りほこ

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