フラハティ

病院坂の首縊りの家のフラハティのレビュー・感想・評価

病院坂の首縊りの家(1979年製作の映画)
3.8
市川崑監督の金田一耕助作品第五作。


「さようなら、金田一耕助。」
素晴らしかった。
シリーズの締め括りとして、個人的に『犬神家の一族』の次に好きだし、何より退廃さや新しい芽生えなど、この当時の日本の復興や文化の多様性が混ざりあって、独特な雰囲気を残している。

原作としても、これが金田一耕助最後の事件ということで、意図的にこの位置に映像化させたんだろう。
横溝正史が最初と最後で登場するのも印象的だし、彼が最後に語る言葉はこのシリーズの最後にふさわしい言葉。

結構驚いたのは、最後であるのにオープニングのフォントが変わったこと。
そして、純和風ではなくどこか明治っぽい西洋の混ざり具合も好き。
『女王蜂』もそんな感じだったけど、町とか田舎の描写も本作は多いのでこっちのほうがいいなぁ。
桜田淳子演じるヒロインも現代さが浮かんできたり、バンドやジャズなんか時代の変わりようがうかがえる。


今回初で登場し、インパクトを残したのは桜田淳子と草刈正雄。
物語の鍵を握る人物としての桜田淳子はよかった。やっぱ違和感のない配役は大事。(前作をディスってる訳じゃない。)
金田一の探偵助手としての草刈正雄も、やる気があっていいよね。
ちょっと外人的な容姿は変わったものを感じるし、孤児という背景には暗いものを感じる。
金田一と似ている部分もありながら、ちょっと対比的な位置にいるのも面白いし。
今回も例に漏れず登場人物は複雑さを極める。相関図はより複雑さを増し、一番複雑という声も多い。
実際分かりづらいけど、最後まで観ていれば何となくわかった気持ちになる。
明らかとなっていく登場人物の関わりも、カルマ的な概念として根深いものがある。


金田一耕助は探偵として、それよりも一人の人間としてこの事件を最後まで見守っていた。
探偵としてどうやねんとは思うが、シリーズを最後まで観るとなんか彼らしいとは思う。
病院坂で立ちすくむ金田一耕助の姿は寂しげに映る。

シリーズの最後として。
金田一最後の事件として。
やはり感慨深いものはあるし、随所にオーバーとも言えるほどセルフパロディもあり、シリーズ最後がかなり強調されている。
五作目にしてようやく分かり始めてくる金田一耕助という人間。
でも彼はアメリカに行ってしまう。
きっと謎のままなのだろう。


「あったものは崩れていく。でもまた新しいものは生まれる。」
フラハティ

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