菩薩

オアシスの菩薩のレビュー・感想・評価

オアシス(2002年製作の映画)
4.5
一言で「罪」と言ったってその形態には様々な種類があるってもんで、例えばその罪を自覚した上で犯す罪と結果的に罪を犯してしまった場合では当然前者の方が圧倒的に悪い。同時にその罪が私利私欲の為の場合も有れば、そうではなく誰かの幸福の為の場合だってあるだろう。

救世主は人類を罪から救う為に磔刑に処されたなんてよく言うものだが、人類からしたら勝手に罪を背負わせれていい迷惑だなんて気もする。この作品はよく「純愛物」だなんて理解をされる訳だが、そんなのだってハッキリ言って観る側の勝手な言い分に過ぎず、社会不適合の男からしたら「とりあえずこんな俺でも手取り早くヤれそうな女がいやがる」と思って接近したのかもしれないし、脳性麻痺を抱える女にしたって「あぁ…SEXしてぇ…。おっ、ちょーどいいカモが来たやんけ、ラッキー!」だなんて思って受け入れたかもしれない、これは本人じゃないのだから誰にも分からない。

周囲の人間はとにかく二人の言葉に耳を傾けようとはしないし、特に脳性麻痺を抱える彼女に対しては一方的に「被害者」であると決め付ける。だがこれは最初強姦をされたにも関わらずそれでも優しく接して来る男に対し「根はいい奴」と決め付けてしまう我々と正反対の立ち位置から彼女を見下している事にはなるまいか。彼女は障害者だから強姦されても愛が芽生えると決め付けてしまうのは、彼女の中には愛が芽生えているのに強姦をされたのだと決め付けてしまう周囲の人間と同等の危うさを持つと思う。

とは言えこの作品の真なるテーマはきっと普通である事の再定義と人は人の罪を許せるかについての問い直し。確かに最初彼女を傷つけた男は、その眼前で許しが出る迄正座を崩さぬとの姿勢を貫き通し耐え続ける。その誠実さが彼女の中での許しに繋がったのだろうし、あの花束は誠実さを後押しし、その先に実った許しが我々が理解する「純愛」に繋がったのだと、そう言う風に捉えてしまいたい衝動は抑え切れず、その衝動はやがて大粒の涙へと変化していく。そんな身勝手な罪をどうかお許し願いたいし、同時にあの陽光の先には二人の幸福な再会が待ち受けているとの勝手な空想をしてしまうしょうがなさもご理解頂きたい。その二人の姿は必ずや許しの先にこそ存在する愛なる物の証明になるだろう。
菩薩

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