yoko45

さくら隊散るのyoko45のレビュー・感想・評価

さくら隊散る(1988年製作の映画)
4.0
 「海辺の映画館(大林監督)」にも出てきた桜隊の話。戦争が進む中、弾圧、劇団解散、劇場閉鎖などが続き、やむなく劇団員たちは、国の意向を受けた移動演劇隊に所属し地方巡業や慰問活動を行い演劇を続けたようです。
 原爆のピカドンは、ピカ、1、2、3、ドン。移動劇団員のなかでもピカで即死、ドンの音を聞いて被爆、広島を離れていて助かる、それぞれ運命が分かれました。
 この作品では丸山定夫、園井恵子、仲みどり、この方々の桜隊に入る前と被爆して苦しみながら命を落とすまでの足取りが、滝沢修、宇野重吉、長門裕之、杉村春子、槙村浩吉(桜隊)、池田生二(桜隊)ら数多くの証言を織り交ぜながら再現されます。
 園井恵子さんが出演する映画『無法松の一生』(1943年)の映像が少し出てきます。調べると有名な方で、中井志づという方に書いた手紙が検索できました。戦争の波にのまれ悩み抜いて生きた方々の気持ちを想像して何か書こうと思いましたが、これを読んだら書けなくなりました。

(以下、ウィキペディアより)
 東京に最後までとどまり、先生のおそばで勉強させていただくつもりでしたのに、広島へ劇団疎開することに決まり、私も一緒にまいることになりました。
 「生きていくうえは、いま死んでも、悔いない生活でなくてはならない」。このごろ盛んに謳われている言葉ですが、ほんとうにいま死んでもいい生活をしている人が、幾人いるでしょうか。求め求めて、とうとう広島行きとなりました。
 私が、東京に残るために広島行きを断ったら、劇団を解散するとか何かとごたごたして、三好十朗先生にも、「あなたは、芝居をやめる人ではない。とにかくやりなさい。選ばれた人は、最後までやめてはいけない。苦楽座の集まりのないときでも、私と話にいらっしゃい」とすすめられ、二日ぐらい考えたあげく、永田氏に負けました。
 丸山さんは、黙って廊下に座って、頭を下げられました。これからは、丸山さん、永田さんに引きずられるのではなくて、私が引っぱってまいります。やわらかく、強く手綱を取っていくことにしました。
yoko45

yoko45