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バニシング・ポイントのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

バニシング・ポイント(1971年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

アメリカン・ニューシネマが始まって5年、1971年、本作の一撃によって終わりを告げた。
そう言われている一作。
確かにそう思える。

映画スタジオを捨てて道へと飛び出した1967年、映画運動の闘志を“奴ら”としよう。
奴らは、どこまでも続くその道を走り続けた。しかし、5年も走り続けても何もなかった。最初から気づいていたのかもしれない。道の先には何もなかった。“負け”もしくは“負けた”というやるせない現象だけが遺った。だったら、最後ぐらいカッコよく終わらせよう!と5年もの間、様々な奴らはカッコよく頑張った、そして死に続けた。
その最後の死への激突が、本作のラストなのである。衝突と爆発、だ。
こんな運動が、アメリカン・ニューシネマの第一期だった訳だ。

1971年、時同じくして、一旦終わらせようとした男があと二人いた。
一人は65歳になる老体に鞭を打ち監督デビューを果たし、戦場に行って芋虫になった男に全てを託し、「こういうことだ、わかったか!」と言い放ったダグラス・トランボ。もう一人は、その名も『ラストショー』というタイトルを掲げたピーター・ボグダノヴッチ。
この3人が、一旦終わらせたのである。

さて、本作、文字通り、走り続ける。主人公コワルスキーの、理由は解らないが、気持ちは解る。バリー・ニューマン演じる、その男の眼がはっきり語っている。
この道の先には何もないのは解っているが、走りたいのである。その豪速球となった速度の中に、かつての幻が過ぎる。走っても走っても、過去は変わらないし、拭えるものなどない、先には何も待ってやしない、しかし走るのである。

トップカットを思い出す。
カメラのゆっくりとしたパン、右から左へと180度、カメラはパンし、道から道を映す。その静かな動きの心穏やかな空間を、残り100分、ぶち壊して終わっていくのである。
理由なんていらない。映画に説明なんて不要。眼が語れば充分だ。
そして今、21世紀・・・いつから観客側にセンスやリテラシーが失われてしまったのだろうか?を考えさせられる。
押し付けがましい説明過多な現在の映画をブッ飛ばす、説明不要で突き進む“これぞ映画”な名編。
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