ローズバッド

シークレット・サンシャインのローズバッドのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます


「車」を直す男、「心」を治すのは…?


幼い息子を誘拐され殺されたシネ【チョン・ドヨン】は、キリスト教に出会い、信仰によって心の平穏を取り戻す。
服役中の犯人に「赦し」を与えようと面会に行くと、犯人も信仰に目覚めており、既に神に「赦し」を与えられた、と穏やかな表情を見せる。
これによりシネは、神の恩寵も、人間の信仰心も欺瞞ではないか?と気付き、信者を性的に誘惑する悪魔になり、天を見上げ神を挑発する。
しかし、もちろん神は応えない。
そしてシネは、ついに精神が崩壊し始め、自殺未遂に至る。
この信仰の欺瞞や無力さを暴く部分が、ショッキングであり、物語の軸となっている。

一方で、人と人との「関わり」が随所に描かれる。
シネと息子が密陽(ミリャン)に越してくる車をレッカーしたことで出会ったジョンチャン【ソン・ガンホ】。
気の良い不器用な男は、ピアノ教室開設や土地投資など、とにかく世話を焼き、教会にも通うようになる。
彼の母親は、独身男の仕事や食事を案じて、しょっちゅう電話をかけてくる。
シネは初対面のブティック店主に「内装を明るくしたほうが良い」と図々しくアドバイスし、シネの弟もジョンチャンに「アドバイスしましょう、貴方は姉のタイプじゃないです。もう会わないと思うけど、じゃあ。」と失礼な事を言う。
姉弟はソウルから来た都会人として、田舎者を見下しているところがある。
ジョンチャンは、献身的にシネに寄り添い、助けになろうとするが、最後まで結ばれるわけでも、救えるわけでもない。

信仰の「赦し」も、人との「関わり」も、シネの絶望を救済できるわけではない。
安易な結論に導かない。
それでも、どこかに一筋の光(シークレット・サンシャイン=密陽)はないのだろうか?
ラストシーン、ジョンチャンの持つ鏡の前で、髪を切るシネ。
優しく寄り添ってくれる男の助けで、自分自身の姿を見る。
彼女の髪が、陽光の落ちる汚れた中庭の地面を風に吹かれていく。

------

全編を通して「車」の映像と走行音が、不吉なイメージを喚起させる仕掛けとなっている。

冒頭、車の故障から始まり、トラックに助けを求めると急ブレーキ。
ピアノ教室のポスターを貼るシネと息子、狭い車道を猛スピードで車が走る、息子がフラフラ歩くのが不安に見える。
ピアノ教室のガラス窓からも、狭い車道を多くの車が行き交うのが見える。
シネはそこを渡るたびに、左右に注意しなければならない。
息子は、犯人となる幼児塾の送迎バスに乗る。
そして、事件当日の朝は、乗るのを嫌がっている。
誘拐されて以降、茫然自失のシネは、運転中に何度も人を轢きそうになり、何度も轢かれそうになる。
そもそもシネは、夫を交通事故で亡くし、夫の故郷である密陽に越してきた。
ジョンチャンは車を直すのが仕事であるが、シネの傷ついた心を治すことができるのだろうか?

------

息子を溺愛しているシネであるが、息子の髪に金髪メッシュを入れているところなど、愛情の注ぎ方は、すこし自分本位のようだ。
そして、すこし軽率な人間でもある。
この事が、物語に深みを与えている。
見栄をはって土地投資の話などしなければ…息子を置いてカラオケに行かなければ…警察に通報するか、ジョンチャンに相談していれば…と自分を責め続けたに違いない。
過去、夫は浮気していたようだが、その事実には目を逸らして、夫の故郷の密陽に越してきた。
当初、「夫に愛されていた」と信じることで喪失感を埋めていた状況が、事件後「神に愛されている」という信仰心で埋めるように変化する。
主演のチョン・ドヨンは、揺れ動く弱い人間である母親を熱演している。
なかなか、この役を演じきれる女優はいないだろう。

スポーツ中継と自宅カラオケが趣味の、気の良いおせっかい焼き、ジョンチャンを演じたソン・ガンホは、体格と面構えからして存在感が素晴らしい。

------

重たいテーマを扱っており、脚本も非常に深いが、その演出アプローチには、やや物足りなさを感じる。
信者たちの集会に「嘘よ嘘よ、みんな嘘」という歌謡曲を流す嫌がらせが、終盤に突然、特大で突飛なギャグとして挿まれる。
そこまでやるのなら、序盤から、もっとブラックなギャグの積み重ねが必要なのではないか。