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ブレイブハートのKEYのレビュー・感想・評価

ブレイブハート(1995年製作の映画)
3.9
メルギブソン監督の最新作『ハクソーリッジ』が、公開してから一ヶ月経とうとしている。宮崎では1月遅れの公開(今日から)になる為、期待を胸に今作『ブレイブハート』と『パッション』、『アポカリプト』の同監督作3つを観賞。

結論から言いますと、メルギブソン監督作品は苦手です。確信しました。映画館で観た方が楽しめそうなので観に行きますが、『ハクソーリッジ』も正直不安なところです。

観る前に前提で、宗教色の強い監督だと言うことは知っていました。しかし最初に『アポカリプト』を観ると、あまりに極端な解釈に引いてしまいます。

「文明は外部から支配されることはない…それ自体が内部から破壊されるまでは…」

『アポカリプト』はアメリカの哲学者デュラントのこの言葉から始まり、マヤ文明の衰退をエンタメ映画として描いていくのですが、ラストを観ると『アポカリプト』はゴリッゴリの宗教映画だと気づいてしまうんです。
宗教映画、もしくはメルギブソン監督作品と知らずに『アポカリプト』を観ると、思いっきり肩透かしに合うでしょう。

ここまで『アポカリプト』のレビューになったので話を今作『ブレイブハート』に戻します。

今作はスコットランドの独立の為にイングランド軍と戦ったフィリアムウォレスと言う実在する人物の話である。
冒頭から幼少期に兄と父親を亡くし、二人の葬式で1人佇み俯く、少し暗いシーンから始まる。ある少女から一輪の花を渡され、そのまま主人公花を叔父と暮らす為に街を離れることになる。
そして時は流れ、主人公はおっさんに。(この役をメルギブソン監督自ら演じる)
あの時花を渡してくれた少女に主人公は恋していて、村に帰ってすぐに結婚するのだが、ここまでの流れの1つ1つシーン全てがドラマチックで素晴らしい。隠れて開く結婚式や、あの時に渡してくれた花を押し花で返すシーンなど、今作に一瞬で引き込まれてしまうほど魅力的で、映画的にも優れている冒頭だ。
しかしここまでのドラマチックなシーンが嘘に思えるほど、物語は残酷に展開してゆく。
まず結婚したばかりの妻の死だ。
話が交差するが、主人公が村に帰ってきた頃エドワード1世は「昔の伝統を蘇らせたい」と言い、『初夜権』を行使する。
この『初夜権』とは、権力者が統治する地域の新婚夫婦の新郎よりも先に、新婦とセックスできると言う権利である。
勘の鋭い方は気づいているだろうが、この権利によって主人公の妻は強姦され、助け出すが、反逆罪として殺されてしまうのだ。
それにしてもこの妻が殺されてしまうシーンは、何故あそこ迄静かにしたのだろう。
それまでの流れが余りにもドラマチックで幸せだった為、妻の死が一瞬理解出来なかった。
以降は妻の死体を写さずに、主人公の反撃から葬式へと進むのだが、少し違和感があった。結婚に反対していた妻の両親でさえも、死刑を見て悲しむ描写は一切無い。葬式で主人公を責めずに耐える姿は、それはそれでカタルシスがあったが、少し違和感の残るシーンだった。

主人公にとって父親、兄、妻の復習が、主人公のエドワード1世との戦いと重なる訳だが、3時間の長尺にも関わらず最後まで楽しむことができた。主人公の視点意外でも、アイルランドとの協力や、スコットランドの貴族視点での描写、ラブロマンス的な展開もあり、物語としては細部まで楽しめる映画であること間違い無し。

しかし『アポカリプト』もそうだったが、史実との相違がかなり目立っている作品の様だ。詳しくはウィキペディアを見ればわかるのだが、両作は「事実に基づいたフィクション映画」と言う表現がベストな気がする。

今作では宗教的な描写で鼻につくところは無かったが、ゴアシーンが多い。
映画の中の暴力はとは、いつでも善し悪しを明確に示してくれるものだが、『アポカリプト』も『ブレイブハート』も、善し悪しの解釈が極端すぎるのだ。

例えば『アポカリプト』では、主人公が神への生贄として連れてかれた都で、住人達は色分けされ明らかに階級制度があるのに、その設定が以降繋がることはない。更に日食に怯える住人達を、「日食」だと分かっているかのように貴族が宥める。
『ブレイブハート』では、敵国の王子は妻とセックスもせずに、側近と遊んでばかりいる。直接的な描写は無いが、彼はきっと同性愛者だったのだろう。
メルギブソン監督作品は…と言えるほど観ていないが、少なくとも僕が観た3作品では、悪役は常におバカかどこか抜けている。またそれと対になる様に主人公が根っからの善人で、キリスト教信者なのである。

「文明は外部から支配されることはない…それ自体が内部から破壊されるまでは…」

『アポカリプト』の冒頭のこの言葉とラストは、明らかにキリスト教の信者としての考えを全面的に推し、史実を監督なりの解釈で誇張した、宗教面で言うプロパガンダ映画?(使い方あってる?)なのである。

ここまで極端にキリスト教を正当化されてしまうと、今作の戦闘シーンのゴアも少し後味が悪い。
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