ティムロビンスに激似

ソナチネのティムロビンスに激似のレビュー・感想・評価

ソナチネ(1993年製作の映画)
3.5
北野映画の銃撃シーンは痺れる。

沖縄のビジネスホテルのエレベーター内。
狭いエレベーター内では誰も目を合わせることなく、無言で乗り合わせる。
一人、また一人とエレベーターに乗り込む。
主人公の北野武が乗ってきた一人に気づき声をかける。
その刹那の銃撃戦。
日本ならではの日常空間で、突発的に起きる銃撃シーンに痺れる。

押井守監督が北野映画における銃器の扱いについて、以下のような分析をしていた。
例えば、時代劇の殺陣の場合、対決する両者が対峙し、刀を構え、お互いに斬りかかるというステップを踏む必要がある。
一方で銃器の場合、ホルスターから銃を引き抜いた瞬間に「結果」が出るのだ。
すなわち、バンバンバンッと銃声が鳴り響いた数秒後には、血まみれの屍が転がっているという「結果」となる。
北野武監督はこの銃器がもつ特徴を的確に描写している。

こうした銃器の描写は、当然ながらアメリカ映画が一級品である。
このエレベーターでの銃撃シーンは、明らかに「タクシードライバー」のオマージュだ。
私も同作のクライマックスにおける銃撃シーンに度肝を抜かれた。
血まみれになりながら撃って撃たれる主人公。
あまりにもリアルで無様な銃撃戦。

アメリカは銃社会であるが故に銃器描写に長けているのは当然だが、日本映画ではどうしても殺陣と銃撃戦を混同してしまい、妙にカッコつけたリアリティのない銃撃シーンになりがちである。
刀と銃器は同じ殺人道具であっても、それぞれの道具に込めれられている意味合いが異なる。
刀は扱う者自身の精神的な「道」をも重視する道具であるのに対し、銃器は即物的で身も蓋もない殺人道具なのだ。
その本質を北野監督はよく理解し、クランケを観察する外科医のような冷徹な視線で銃撃シーンを演出する。
それ故に痺れるのだ。