げんき

アイズ ワイド シャットのげんきのレビュー・感想・評価

アイズ ワイド シャット(1999年製作の映画)
3.7
興味があるものやなんだか分からないが魅力的なものに首を突っ込む、なんとか覗いてみたい、そうやって欲望の穴に踏み込んでいたら、気がつけばとてつもなく深いところまで来てしまっていた。いまさら後戻りもできないほどに。そこは何が現実なのか、いったい自分はどこにいるのか、見当もつかないような混沌とした闇に飲み込まれていた、という話なのか。
「事実は小説より奇なり」という言い回しのように、不思議な出来事に偶然が重なり、まるで夢を見ていたかのような状況に陥る。そういうことを見せてるとも考えられる。

個人的には、「妻は自分に一途だ。そもそも女性は目の前の欲望や誘惑、とりわけ性欲に溺れることはない。他の男は欲望に飲まれることはあるが、自分は妻のために耐えられる、溺れることなどない。」と自信満々の主人公が、妻の一つの告白と一夜の幻想的な出来事であっけなくその自信も生き様も砕かれる。そんな話のように感じた。そして最後に妻との接し方、今後の夫婦の在り方も分からず、妻に「僕たちはこれからどうすればいいのかな」と答えを乞う。そんな夫に「やることは一つよ。Fuck」なんてセリフで終わる。男にも女にも性欲は存在するし、お互い秘密の1つや2つあるわけで、そこに『アイズ・ワイド・シャット=目を閉じろ』。パーティーで互いが異性と踊るのを見ていて、内心気にしているところからもそう考えられる。パーティーでニコール・キッドマンに言い寄った老紳士も言っていた。『結婚するとお互い騙し合いが必要になる』って。

時折挿入される交差点や街並み、行き交う人や車、主人公以外の人がここまで現実味に近いエキストラとして演出されているところは他のキューブリック作品とは異なる点だと思った。他にも色味の強い画面、パステルカラーやいかにも人工的という感じ。ただ人が室内を行き交う様を長回しで左右にパンさせながら撮るようなカメラワーク、広角レンズでの撮影、左右対称の画面を見ると、それだけでいかにもキューブリックっぽい。ダンスパーティーで、はじめは近い距離のクロスカットだったのに、次第にその距離が遠くなっていき、別々の部屋のクロスカットになる。ただどちらも「性と死」についての場面。

今までこんなにニコールキッドマンに色気を感じたことないけど、それはあれかな、露出の話なのか、それともやっぱり演出なのか服装なのか…。いつもワンフレーズずつゆっくり喋るし、”Maybe not just now”なんて思わせぶりなセリフ。
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