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麗しのサブリナの小のレビュー・感想・評価

麗しのサブリナ(1954年製作の映画)
3.7
「午前十時の映画祭8」の8月は「魅惑のオードリー週間」。オードリー・ヘプバーン主演作4本を上映するというタイトなスケジュール。本作上映期間の1週間は夏休み中で見に行く時間がなかなか取れず、旅行先の京都で鑑賞するという荒業にでた。五山送り火の鳥居型を広沢の池から眺めた翌日で、しかも座席が広めのリクライニングシートだったこともあり、つい…。

それはさておき本作は、オードリーが『ローマの休日』の翌年に出演したロマンティックコメディ。オードリー演じるサブリナは大富豪ララビー家お付の運転手の娘で、富豪兄弟の次男デヴィッドに思いを寄せる。不毛な恋と心配した父はパリの学校へ送り出すが、サブリナはパリで見違えるように洗練され帰国、たちまちデヴィッドは虜になる。その様子を心配したデヴィッドの兄ライナスは、サブリナを再びパリへ送ろうとするが…。

物語は「午前十時の映画祭」の一作品としてはやや力不足な印象が否めないけれど、これは「魅惑のオードリー」を見る映画。ドレスがまた素晴らしいうえ、彼女がはいた短めの丈のズボンが「サブリナパンツ」と呼ばれて流行するなど、ファッション文化を生み出した。

物語自体が傑作な『ローマの休日』ではあまり気にならなかったことが、本作ではとても気になった。それは「オードリーって何者?」ということ。

映画に興味がなかった頃からオードリー・ヘプバーンのことは、明治の文豪の名前と作品名だけ知っているのと同じような感じで知っていた。女優という枠を超えてメディアに露出していたのだろうけれど、きっとそれはファッショアイコンとしてのオードリーなのだろう。

しかし、今なおオードリー主演ということで映画が上映され、多くの人が見に来る彼女の魅力は何なのだろう。確かに単なる美人ということだけではないことは感じるし、スタイルがイイ。豊満な女優が主流の当時であっても、オードリーは別格だったみたい。

と考えて、ある妄想が浮かんできた(完全に男目線ですが)。オードリーの魅力って、まるでお人形さんのようであることではないかと。オードリーに萌えるのは、人形萌え、アニメキャラ萌えと同質の心理ではないかと。即ち自らの理想の女性像をオードリーに投影しているのではないか、と。

以前、デカルトが人形萌えだったということを書いた本を読んだことがあり、そこで書いてあった「ピグマリオンコンプレックス」という言葉をなんとなく覚えていた。で、ウィキペディアを見てみると、ちょっとワクワクすることが書いてあるじゃないですか。

語源は、キュプロスの王であるピュグマリオンが自ら彫り上げた象牙の人形を溺愛し、人形の命をアフロディテからもらうというギリシャ神話の逸話から。何故、人形を溺愛するのかについては、語源の逸話とは異なるけれど<人形を溺愛した別のとある王は「私がどんなに望もうと何も与えてはくれないからこそ、私は彼女を愛しているのだよ」と>。

人形職人の多くは<「自分自身の姿」や「理想像」を投影、美化しながら製作>し、こうした中で人形に対する感情移入が高じて、人形そのものに愛情を抱くようになる>ケースがある。

<また、恋愛感情を抱きながらも、理想と現実とのギャップ、「意志を持ち、相手を裏切ることもある」人間に対する幻滅などから、恋愛対象とする相手の姿(理想像)を「意思のない、理想のフォルムを持つ」人形に投影・再現して擬似的な恋愛感情を継続させようとする傾向もこのピュグマリオニズムの一種と見られている。>

さらにウィキペディアでは、<女性を人形のように扱う性癖もあり、これもピュグマリオニズムの一種と>指摘し、そうした傾向のある日本の物語の例をあげている。

そして、おおっと思ったのは、それに続く次の文章。<日本以外では、戯曲『人形の家』において社会全体に蔓延していた「女性を人間扱いしない傾向」が批判され、ミュージカルでは『マイ・フェア・レディ(後に映画化。原作は『ピグマリオン』)において、理想の女性となった主人公の自立が描かれており、概して悲劇的な結末となることが多い。>

はい、言うまでもありませんが、映画『マイ・フェア・レディ』の主人公は誰あろう、オードリーですね(見てないけど)。次の文章はウィキペディアの「オードリー・ヘプバーン」の項目の『マイ・フェア・レディ』の箇所から引用。

<このような騒動(引用者注:オードリーの歌のシーンがほとんど吹き替えられたことによる騒動)はあったものの、多くの評論家は『マイ・フェア・レディ』でのヘプバーンの演技を「最高」だと賞賛した。(略)ボズリー・クロウザーは『ニューヨークタイムズ』誌で「『マイ・フェア・レディ』で最も素晴らしいことは、オードリー・ヘプバーンを主演にするというジャック・ワーナーの決断が正しかったことを、ヘプバーン自身が最高のかたちで証明して見せたことだ」と評した。(略)『サウンドステージ』誌のジーン・リングゴールドも「オードリー・ヘプバーンはすばらしい。彼女こそ現在のイライザだ」「(引用者注:舞台でイライザを演じていた)ジュリー・アンドリュースがこの映画に出演しないのであれば、オードリー・ヘプバーン以外の選択肢はありえないという意見に反対するものは誰もいないだろう」とコメントしている。>

ウィキペディアのオードリーの項目の中にある、オードリーを評した言葉を拾ってみると…。

<豊かな感情表現には大人びた雰囲気と子供っぽさが同居>

<お茶目な妖精のような美貌と人形めいた痩身というイメージ>

もうね完全に「オードリー=人形萌え」の妄想にハマってしまいましたよ。「午前十時の映画祭」のオードリー特集は全部見ようと思っていて、しかも『マイ・フェア・レディ』も是非とも見たくなっている自分も、もはや立派な人形萌えかも…。

●物語(50%×3.0):1.50
・個人的にはいまいち。

●演技、演出(30%×4.5):1.35
・オードリーに萌えることにしました(笑) それにしても相手方との年齢のギャップが気になる。

●映像、音、音楽(20%×4.0):0.80
・欲を言えばカラーで見たい。
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