ちょっとしたアクシデントから妹ザーラの靴を無くしてしまったアリ少年。貧しい家庭ゆえに両親へと打ち明けることもできないアリは、自分の靴を妹と代わりばんこで共用することになり……。イラン初のアカデミー外国語映画賞ノミネート作。靴の修理から始まる冒頭のシーンが印象深く、淡々とした描写の味わいに加えて主人公の生活環境が垣間見える。
子供の目線による素朴な不安感や現地の生活風景に寄り添った撮影などは、同じくイランの監督であるキアロスタミの『友だちのうちはどこ?』を彷彿とさせる。粗筋を見るとマラソン大会が主軸のようにも見えるが、あくまで靴を無くした兄妹のささやかな日常の冒険が中心である。イランの貧困家庭の生活模様が鮮明に描かれているという点でも興味深いところのある作品。靴を代わりばんこで使うというギミックも、現地の学校が基本的に男女別学であることを前提とした設定であることを感じられる。
作中において、アリもザーラも幾度となく走る。生活のために、秘密を守るために、走ることを余儀なくされる。子供の目線で描かれる不安と焦燥、それ故の健気さ。幼い兄妹が直面することになった事態、そこに起因する感情の揺らぎが“走る”という行為の中に投影される。随所で描写される生活水準の貧しさも相俟って、ささやかな路地裏ですら何処か途方もない迷路のように映る。そして終盤のマラソンにおいて、走るという行為が“手段”から“目的”へと切り替わる。子供なりに現状をやり過ごすための奔走が、子供なりに現状を打破するための疾走へと昇華されることの清々しさ。終盤が此処まで劇的に描かれるぶん、序盤からもうちょっとマラソンを話の軸にしても良いとは思うけどね。
『友だちのうちはどこ?』ほどの孤独感ではないにせよ、本作における“子供を取り巻く世界”は小さな苦難に満ちている。優しい大人もいれば冷ややかな大人もいる、大人からすれば些細であっても子供にはどうにもならない事態が幾つも立ちはだかる。焦りや動揺を表情から滲ませるアリの佇まいが、そんな作中の雰囲気を際立たせる。アリを演じる子役、大きな目と不安げな表情が絶妙な味を醸し出しているのだ。一度は見つかった靴を諦める下り、彼らが住まう地域に蔓延る苦労を兄妹なりに飲み込んだ結果である故の切なさがある。
主人公を取り巻く世界は決してハートフルではないけれど、だからこそ家族とのささやかな絆の描写に愛おしさがある。妹とシャボン玉を飛ばして遊んだり、ご褒美のペンをプレゼントしたりする下りが何ともいじらしい。そして家でふんぞり返ってるように見えるお父さんの描写も憎めない。自分なりに現状に思うところがあり、不器用なりに家族をちゃんと養いたいと考えているのが伝わってくる。兄妹の物語を考えれば庭師の下りは直接的には関係ないんだけど、この交流があったからこそラストのお父さんが活きてくるのを感じる。不甲斐なさに涙を流すアリのもとに、間もなく幸運の金魚はやってくるのだなあ。